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  [No.22959] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/17(Sun) 15:17:29

石飛先生、こんにちは。

> > 例えば、頭を北にして亡くなったことから、北枕が悪いという言い伝えになります。
> > しかし、インドでは今でも、そして昔から北に頭を向けて寝るとよいとされているようで、
> > 仏陀も慣習通り、普段通りに頭を北に向けて横になったのでしょうけど、
>
> それは、そうなんですか?
> 北を枕にして寝るとよい、というのは、実は、よく知りませんが、聖者は眠るとき、右脇腹を下にして寝るとは言われています。つまり、顔は西を向いていることになります。
> これは、現代では医学的に心臓の位置など、いろいろ言われていますが、詳しいことはわかりません。

> > 北に頭を向けて寝るといいというインドの風習はどこから来たのでしょう。
>
> いや、わからないですねえ。『大般涅槃経』の、仏陀の言葉「沙羅双樹の間に頭を北に向けてとこを用意してくれ」という言葉しか、思いつきません。ウパニシャッドとか他の文献でも見たことがありませんねえ。


私は、前に現代のインドについて書かれてあった本で知りました。
インドのホテルに泊まると、どこもベッドが北向きだったので、フロントに聞くと、インドでは北向きがいいとされているというような話でした。
本当かどうかはわかりません。

一応、ネットで調べてみたら、インドでは北の方角がいいという記事は複数ありました。どれも信ぴょう性には欠けますが。
理由は、次のようなものでした。

1,インドの北にヒマラヤがあり、それが須弥山のモデルだと考えられていて、神々がすむ神聖な場所とされ、北に足を向けてはならず、頭を北向きにするのがいいとされている

2,ア-ユルヴェ-ダでは、太陽は北東から上がるとされていて、北東の方角が最もエネルギ-をもらえる

3,地球は磁気が北極から南極に流れており、北向きに寝るのが身体によい


主にこのようなものがありました。

それに、よく考えれば、
四門出游では、
東門から出たときに、老人
南門から出たときに、病人
西門から出たときに、死人
北門から出たときに、沙門
と出会います。

これを見ても、西は死後の世界、北は神聖な世界を表すと言えるかもしれません。


 

  [No.22961] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/17(Sun) 20:58:26


ショ-シャンクさま、えび天サンバさま、PLさま

こんばんは、でございます。

話しが広がりはじめましたね。
そう言われてみれば、みたいなことになりますが、ショ-シャンクさまのお話の一つ二つ、わたしも記憶しています。

> 1,インドの北にヒマラヤがあり、それが須弥山のモデルだと考えられていて、神々がすむ神聖な場所とされ、北に足を向けてはならず、頭を北向きにするのがいいとされている

ヒマラヤは、神々のすむ世界だというのは、確かにそうです。マハ-バ-ラタでも、最終的に、戦争に勝ったアルジュナ王子達は、最後に神々のいるヒマラヤに向かいます。

それから、ガンジス河の中流域にある聖地ベナレス(ヴァ-ナ-ラシ-)は、一度ガンジス河の川の向きが、北の方へと方向を変えるところにあって、それで神聖な場所とされるとか言われますね。そう言われてみれば、たしかにそうですねぇ。

> 2,ア-ユルヴェ-ダでは、太陽は北東から上がるとされていて、北東の方角が最もエネルギ-をもらえる。

日本の風水では、鬼門の方角になりますけど、確かに、ア-ユルヴェ-ダの方が科学的な印象ですね。

> 3,地球は磁気が北極から南極に流れており、北向きに寝るのが身体によい

なるほど、こんなところも、根拠があるかもしれませんね。
PLさまのご意見も、なるほどなあと思います。

> その、科学とブッダ智慧はどのように関連づけることができるのだろう、と時々考えるのですが、このように、左脇を下にすると胸が苦しい、というレベルの因縁だけではなく、科学的な手法に頼らないと、常人ではまずキャッチできないようなわずかな縁起も、漏らさずに知ることができる、とすれば、あり得ない話でもないのかなっと思うのですが、みなさんどう思われますか?

心臓の位置の関係だとかもいわれたりしますね。北向きに寝るのも、地軸との関係もあるかもしれませんし、又、えび天サンバさまのおっしゃるように、北極星という天体とも関係するかもしれません。インドは天文学も発達しています。それは、大半占星術として用いられているようですが。でも、月の満ち欠けと身体との関係も関連づけられますから、インドの俗説みたいに見える知識も侮れないですね。

ヨ-ガや瞑想などと関連すると、根底に、案外科学的な因果関係がひそんでいたりします。

> それに、よく考えれば、
> 四門出游では、
> 東門から出たときに、老人
> 南門から出たときに、病人
> 西門から出たときに、死人
> 北門から出たときに、沙門
> と出会います。
>
> これを見ても、西は死後の世界、北は神聖な世界を表すと言えるかもしれません。

おお、ほんとですね。一つ聞いただけでは信じられなくても、いくつも出てくると何かありそうだと、思わせられますねえ。おもしろい!


 

  [No.22967] Re: ストゥ-パと五輪塔 投稿者:Satya  投稿日:2021/10/18(Mon) 21:17:46

先生、時間的都合もおありでしょうから、ワタシの書き込みは読み流して、ショ-シャンクさんのご質問に返信してください。


 

  [No.22965] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/18(Mon) 19:44:52

石飛先生、こんばんは。


> > ア-ナンダも気をきかせて、延命を頼めばよかったとは思います。

> いや、これこそが、「縁起」なんじゃないでしょうか。
> たぶん、ア-ナンダには、あらゆるできごとがバタバタと過ぎていって、本人は気づこうにも気づけない状態であったのではないかと思います。まさしく悪魔が取り憑いたと言われる状態に陥っていたのかな、と思っています。
> そう考えると、その後の展開も、何となく納得されます。
> 一人だけ覚れないア-ナンダは、仏典結集からはずされ、マハ-カッサパ主導で話しが進む中、ア-ナンダ必死の修行で何とかぎりぎり間に合って覚るという、劇的な展開を見ます。
> ア-ナンダは、出家者でありながら、出家者ではなく在家の如くであって、あらゆることがらがア-ナンダにとっては、在家的な世俗世界のできごととしてとらえられているのかなと思ったりもします。亡くなるとき、想受滅に入ったブッダを、亡くなったと誤解するのもア-ナンダです。ア-ナンダだけが、ちぐはぐですよね。
> でも、これは、仏教にとっては必要であったのだろうと思います。
> 心は在家に身を置きながら、経典を一番よく知っている心優しいア-ナンダ。
> その一方
> 厳しい頭陀行を一途に行い、心清浄を身をもって体現していたマハ-カッサパ。
> この二人が、ブッダの教えを守ったと言うことなのだな、と思っています。
> だから、二人合わせてブッダの大きさになるのではないかと思うのです。
> どちらも必要な要素として、阿羅漢と正等覚者の呼び名が、ブッダについて唱えられています。
> 阿羅漢は、マハ-カッサパに代表され、正等覚者は、多聞のア-ナンダが引き受けたということかと納得しているのです。


仏陀の葬儀において、マハ-カッサパが葬儀をとり仕切りました。
仏陀は、『自分はサンガを指導しようという気がない』として、教団について何も指示を出しませんでしたから、マハ-カッサパが後継者という指名もしてないですね。
なのになぜ、仏陀が亡くなった場にいたわけでもないマハ-カッサパが葬儀を取り仕切ったのでしょう?
仏陀がマハ-カッサパに半座を与えたということを読んだことがありますが、典拠が分かりません。
半座を与えたというのは本当でしょうか。

もちろん、人格面からしても、マハ-カッサパが後継者でよかったとは思いますが、仏陀が後継者に指名したことがあるとは思えないのです。
拈華微笑のエピソ-ドは作られましたが、史実ではないでしょうし。


あと、先生は、阿羅漢と正等覚者ということで、分けられていますが、どう違うのでしょうか?


 

  [No.22968] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/19(Tue) 07:02:38



ショ-シャンクさま おはようございます。

Satyaさまが、先にとおっしゃってくださったので、こちらから。

> 何かの本で、葬儀は初めからマハ-カッサパが取り仕切ったと書いてあったような気がしましたが。グレゴリ-・ショペンの本でしたか、うろ覚えです。勘違いかもしれません。

いえ、だいたいよいように思います。

パ-リ語聖典では、おっしゃるように、マハ-カッサパがしきったようには書いていないのですが、日本人のみなさんは、何となくカッサパ主導で、ことが行われたように感じているのではないでしょうか。

その理由は、おそらく、スバッダという比丘が、「うるさい大沙門がいなくなってせいせいした。これからは、好きなようにやろう」ということを言ったのを聞いて、マハ-カッサパがそれを戒めた、というところから来ているのではないかと思います。

私は、パ-リ語聖典のこの素っ気ない書き方に、ちょっと違和感があります。
大智度論』という般若経典の注釈書ですが、仏教のエンサイクロペディアとも言われるこの論書には、もう少しマハ-カッサパのことが詳しく書いてあって、他の伝承ではパ-リ仏典とは少し異なることがわかります。

マハ-カッサパは、サンガの伝統を残そうと、また、仏教の教えを守ろうと、仏典の結集を呼びかけます。
そこにア-ナンダも加わろうとしますが、マハ-カッサパは阿羅漢でないア-ナンダを拒んで許しません。この厳しさが、経典のためにはよかったと思います。
そこで必死に覚ろうとするア-ナンダ、そして、それを見守るマハ-カッサパ。
ぎりぎり間に合って仏典結集に参加できたア-ナンダ。けっこう、劇的ですよね。

大智度論』では、マハ-カッサパが述べた大事な言葉が残されています。
それは、「仏を思うならば仏恩に報いよ、涅槃に入ってはならない」(『大正蔵』25,p.67c)という言葉です。

多くの仏弟子たちが、ブッダの後を追って涅槃に入ろうとするのをとどめて、「仏恩に報いなさい」というのが、すごく印象的です。

こういうことを考えると、カッサパが後継者で、その法燈は第二代目ア-ナンダに受け継がれたと言っても良いのかな、と思います。

「拈華微笑」は『正法眼蔵』に載っていますが、すごくおもしろいと思っています。史実というのが何か、が問題ですよね。確かに、「拈華微笑」はあったかもしれないと思うようなことも見つけられるからです。これも、ア-ナンダがらみのお話しになってくるのですが、ここは、内容がずれるので、パスします。


> あと、先生は、阿羅漢と正等覚者ということで、分けられていますが、どう違うのでしょうか?

阿羅漢は、心清浄を達成した者で、サンガの伝統から生まれてきます。全員、阿羅漢なら、法を残すという作業はできなかったと思うのです。筏は捨てるのですから、阿羅漢になった者たちは、もはや必要ありません。
ですから、「仏恩を報ずべし」と意識しないと、仏典は残せないのですが、それでも、自分が覚った法だけが法であるわけではないので、多くを聞いているア-ナンダの力が必要になるのだと思います。

ア-ナンダは、どちらかと言うと教団の中では、在家的な仕事をしていた人で、みんなの世話役みたいな存在だったと思います。たくさん教えを聞いているのに、他人のためにばかり仕事をして、自分の事はそっちのけです。

正等覚者は、正しく覚った者であり、又、等覚の悟りを知る者です。
「正しく」というのは、八正道の中道に依っている者で、「等覚」というのは、他の仏陀の教えもわかる、ということです。ブッダが他にもいれば、「あ、ブッダだ」と分かり、その教えも了解できるということで、種々の法門を得ることになります。一切智者ですね。

ブッダというのは、これら両方の特徴、阿羅漢と正等覚者の二つの特徴をもっていますから、マハ-カッサパとア-ナンダの両方が、それぞれブッダの役目を二分したと見てよいのではないかと思っています。

ほんと、絶妙にぎりぎりの攻防で、法は伝わってきたという感じがいたします。


 

  [No.22973] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/19(Tue) 11:11:44

石飛先生、おはようございます。

> > 何かの本で、葬儀は初めからマハ-カッサパが取り仕切ったと書いてあったような気がしましたが。グレゴリ-・ショペンの本でしたか、うろ覚えです。勘違いかもしれません。
>
> いえ、だいたいよいように思います。
> パ-リ語聖典では、おっしゃるように、マハ-カッサパがしきったようには書いていないのですが、日本人のみなさんは、何となくカッサパ主導で、ことが行われたように感じているのではないでしょうか。


グレゴリ-・ショペンの本を確認しましたら、なんとも衝撃的な事が書いてありました。
根本説一切有部律の中に書かれてあるそうですが。
グレゴリ-・ショペンによると、
『マハ-カッサパがいかに裕福あったかは、彼が仏陀の死体のための供養を完全にやり直したという事実によってテキスト中に直接示されています。その供養の品物には、特に必要な特定の量の綿芯、五百セットの綿布、火葬に必要な香木とが含まれています。最初の折にはこれらの葬儀の用品を揃えるためにクシナ-ラ全村がそれにかかった・・・(後略)』
と書かれています。
私有財産を認められてない、サンガ共有財産しか認めてないはずですので、それを前提として、ショペンの私有財産説はいまは置いておくとして、この記述であれば、やはり、マハ-カッサパが葬儀委員長であったということですね。
ただ、やり直したという記述が、信じられないでいますが。
本当に、そんな記述が根本説一切有部律にあるのでしょうか。


> マハ-カッサパは、サンガの伝統を残そうと、また、仏教の教えを守ろうと、仏典の結集を呼びかけます。
> そこにア-ナンダも加わろうとしますが、マハ-カッサパは阿羅漢でないア-ナンダを拒んで許しません。この厳しさが、経典のためにはよかったと思います。
> そこで必死に覚ろうとするア-ナンダ、そして、それを見守るマハ-カッサパ。
> ぎりぎり間に合って仏典結集に参加できたア-ナンダ。けっこう、劇的ですよね。


はい。これは私も好きなエピソ-ドです。
ア-ナンダは美男子でしたので、女性のファンが多く、ア-ナンダもついつい甘い対応をしてしまうので、長老たちがア-ナンダに苦言を呈する場面はありますね。
長老たちの共通認識として、ア-ナンダはいまひとつ頼りない感じだったかもしれません。
マハ-カッサパのこの厳しさが、先生おっしゃるように、仏教のためにはよかったと思います。


> 『大智度論』では、マハ-カッサパが述べた大事な言葉が残されています。
> それは、「仏を思うならば仏恩に報いよ、涅槃に入ってはならない」(『大正蔵』25,p.67c)という言葉です。
> 多くの仏弟子たちが、ブッダの後を追って涅槃に入ろうとするのをとどめて、「仏恩に報いなさい」というのが、すごく印象的です。
> こういうことを考えると、カッサパが後継者で、その法燈は第二代目ア-ナンダに受け継がれたと言っても良いのかな、と思います。


マハ-カッサパは、第一結集が終わるとすぐ元のように精舎を離れ山か森に引っ込んで修行し、後のことはア-ナンダに任せたということを読んだことがあります。本当かどうかはわかりませんが、そうであれば、素晴らしいですね。


> 「拈華微笑」は『正法眼蔵』に載っていますが、すごくおもしろいと思っています。史実というのが何か、が問題ですよね。確かに、「拈華微笑」はあったかもしれないと思うようなことも見つけられるからです。これも、ア-ナンダがらみのお話しになってくるのですが、ここは、内容がずれるので、パスします。


パスされずに、是非教えてください(笑)


> > あと、先生は、阿羅漢と正等覚者ということで、分けられていますが、どう違うのでしょうか?
>
> 阿羅漢は、心清浄を達成した者で、サンガの伝統から生まれてきます。全員、阿羅漢なら、法を残すという作業はできなかったと思うのです。筏は捨てるのですから、阿羅漢になった者たちは、もはや必要ありません。
> ですから、「仏恩を報ずべし」と意識しないと、仏典は残せないのですが、それでも、自分が覚った法だけが法であるわけではないので、多くを聞いているア-ナンダの力が必要になるのだと思います。
>
> ア-ナンダは、どちらかと言うと教団の中では、在家的な仕事をしていた人で、みんなの世話役みたいな存在だったと思います。たくさん教えを聞いているのに、他人のためにばかり仕事をして、自分の事はそっちのけです。
>
> 正等覚者は、正しく覚った者であり、又、等覚の悟りを知る者です。
> 「正しく」というのは、八正道の中道に依っている者で、「等覚」というのは、他の仏陀の教えもわかる、ということです。ブッダが他にもいれば、「あ、ブッダだ」と分かり、その教えも了解できるということで、種々の法門を得ることになります。一切智者ですね。
>
> ブッダというのは、これら両方の特徴、阿羅漢と正等覚者の二つの特徴をもっていますから、マハ-カッサパとア-ナンダの両方が、それぞれブッダの役目を二分したと見てよいのではないかと思っています。
> ほんと、絶妙にぎりぎりの攻防で、法は伝わってきたという感じがいたします。


なるほど、そういう分け方であれば、阿羅漢と正等覚者の二つの特徴を持つ人は、仏陀の他にも舎利弗がそうではないでしょうか。
舎利弗は当然阿羅漢でもありましたが、仏陀舎利弗に説法を任せる場面が結構あります。そしてそのどれもが理路整然としてわかりやすい説法になっています。
舎利弗はまさしく正等覚者だったでしょうね。
舎利弗仏陀より先に亡くなって、仏陀が寂しがったのはわかる気がします。


 

  [No.22974] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/19(Tue) 15:09:31


ショ-シャンクさま、

他にも反応したいのですが、取り急ぎ、まずこれだけ書きますね。

> パスされずに、是非教えてください(笑)

「拈華微笑」は書きたくてうずうずしてたのが、バレたかな(笑)


『サンユッタニカ-ヤ』16.11に「衣」という経典があります。因縁の対決みたいに、マハ-カッサパとア-ナンダがでてきます。

マハ-カッサパは、行状の悪い還俗した若者達と一緒にいたア-ナンダを叱りますが、その話を聞いた比丘尼の一人が、文句を言います。

「マハ-カッサパは、以前は外道であったのに、賢明な聖者のア-ナンダを小僧呼ばわりして叱責して良いものだろうか」と。

さすがにモテモテのア-ナンダですので、比丘尼が文句を言ったのもわかるのですが、おもしろいのは、マハ-カッサパが、そのことについて、ア-ナンダにさかんに言い訳めいた話しをするのです。言い訳ではないのかもしれませんが、すごく興味深いです。

何に反応しているかというと、「以前外道だった」というところです。

=====途中ですが、その個所を。(「衣経」)

15.友よ、そこで、わたし(=マハ-カッサパ)は、別の時に、布の切れ端で大衣を作って、世の中で阿羅漢である人々を指定して(=目標にきめて)、髪とひげを剃って、袈裟衣をまとって、家から出て家なき者として出家をしました。

16.このように出家をして、このわたしは、長い間道を歩いていき、ラ-ジャガハとナ-ランダ-との間にあるバフプッタ塔廟に座っている尊師を見ました。見た後、わたしにはこのような思いがありました。「実に、わたしが師に出会うとすれば、尊師だけにお目にかかりたい。実に、わたしが善逝に出会うとすれば、尊師だけにお目にかかりたい。実に、わたしが正等覚者に出会うとすれば、尊師だけにお目にかかりたい」と。

17.友よ、そこで、わたしは、尊師の足に頭をつけて(礼拝し)、尊師にこのように言いました。「尊者よ、わたしの師は尊師です。わたしは、声聞(弟子)です」と。

18.友よ、このように述べたとき、尊師は、わたしにこのように言いました。「カッサパよ、知ってもいないし、見てもいないのに、このような心を備えた弟子すべてに、「わたしは知っている」「わたしは見ている」というような者は、その頭が裂け落ちてしまうでしょう。カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。

==============

ものすごく奇妙な出会いで、びっくりしてしまいます。カッサパも奇妙なら、ブッダも奇妙です。
カッサパは、弟子になるのに、ふつうはブッダにお願いすると思いますが、「あなたが先生で、わたしは弟子です」と命令(?)しているかのようです。
それに対して、ブッダも、見たものだけを見たと言うし、知ったことだけを知ったといいますと、述べて、先生の資格はありますよ、と控え目に(?)伝えているかのようです。

控え目じゃないかもしれないけど、あまりのことに、「すごいな、カッサパにおしまくられた感じだ」という気がします。

そして、マハ-カッサパが言いたかったのは、比丘尼の発言を否定することば、「出家をしてから、外道であったことは一度もない」ということなのです。

確かに、脇目もふらずにブッダのもとに向かっていて、「外道」の「外」の字もはいる余地がありません。余計な要素が一つもなく、ブッダの弟子に速攻でなってますよね。ブッダを知る前からブッダの弟子だった、と言ってもよさそうです。

このツ-カ-の仲を、エピソ-ドに残すとしたら、「拈華微笑」となっていくのもわかるかなと思います。

この花を拈る話は、曹洞宗の伝統にも依っていると思います。と言うのは、法を伝えるのは、眼横鼻直という法則があるからです。「眼は横についていて、鼻は真っ直ぐ」というのは、法のあり方を述べていると、わたしは思っています。嗣法(法を嗣ぐ方法)は二つ、鼻という感覚器官を使って直接師から弟子へと伝えるのです。だから、「拈華微笑」の話になります。
このように、鼻から鼻へと嗣法するのが、禅の嗣法の仕方だということで、道元禅師も、「嗣書」の中で夢に祖師から梅の一枝をもらっています。
「鼻」というのは、一種の喩えのようなものであって、直接知覚すると言うことだと、わたしは見ています。経典では「見る」と書かれる言葉です。

だから、ブッダはパ-リ仏典のなかで、「見ている時のみ、わたしは見ていると述べる」とカッサパに請け合っているのでしょう。

「眼は横」ですが、これは、仏と仏の嗣法の仕方ですね。こちらも「嗣書」に少し載っています。
道元は、やはり深いですね。
ブッダとカッサパが、衣をお互い交換します。それについても、興味深いのであげておきましょう。

=================「衣経」

26 友よ、尊師は、用意された座に坐りました。

27 友よ、坐ったあと、尊師はわたしにこのように言いました。「カッサパよ、この端布を縫い合わせた大衣は、実に柔らかい」
「尊師よ、尊師は、憐れみをもって、わたしから、端布を縫い合わせた大衣を受け取ってください」

28 「カッサパよ、あなたは、わたしの着古した麻布の糞掃衣を着るだろうか」
「尊師よ、わたしは、尊師が着古した麻布の糞掃衣を着るでしょう」

29 そして、友よ、わたしは尊師に端布を縫い合わせた大衣をさし上げました。わたしは、尊師から着古した麻布の糞掃衣を受け取りました。

30 友よ、正しく語っているならば、尊師の子、嫡子、口から生まれたもの、法から生まれたもの、法の化生者、法の相続者は、麻布の着古した糞掃衣を受け取ったのは、誰と語るでしょうか。正しく語っているものであれば、尊師の子、嫡子であって、口から生まれたもの、法から生まれたもの、法の化生である、法の相続者は、このわたしを、着古した麻布の糞掃衣を受け取ったものと語ることでしょう。

=================

これ、パ-リ語仏典にある言葉なんですよね。テ-ラワ-ダが禅宗のために書いた経典ではないんですが、なんでこうなるんだろう、って感じです。
カッサパは法の継承者と言ってもよいと、この経典を読むと、みな思うのではないでしょうか。

この経典を禅宗は、わが身に受けとめてきたのかな、とも思います。

道元禅師には、神秘や未曾有は当てはまらないような気がするのですが、この経典を読むと、いつも不思議な気持になります。

一端ここで切りますね。


 

  [No.22975] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/19(Tue) 20:19:38

石飛先生、こんばんは。


> 15.友よ、そこで、わたし(=マハ-カッサパ)は、別の時に、布の切れ端で大衣を作って、世の中で阿羅漢である人々を指定して(=目標にきめて)、髪とひげを剃って、袈裟衣をまとって、家から出て家なき者として出家をしました。


> 確かに、脇目もふらずにブッダのもとに向かっていて、「外道」の「外」の字もはいる余地がありません。余計な要素が一つもなく、ブッダの弟子に速攻でなってますよね。ブッダを知る前からブッダの弟子だった、と言ってもよさそうです。


確かにそうですね。
私は、このエピソ-ドは、マハ-カッサパが、在家の時から、仏陀の評判を聞いており、仏陀の弟子になろうと固く決めていたのだと思っています。
というのは、家を出る時、髪を剃っているからです。
髭を剃るのは、男ならだれでもしますが、髪を剃るのは仏教だけではないですか?
ジャイナ教でも髪を剃る習慣はなかったと思いますが。
つまり、髪を剃った時点では、仏陀の教えや仏陀の弟子が髪を剃ることなどを知っていたということかなと思っています。
ですから、カッサパも仏陀に会ったときに強引に、『尊者よ、わたしの師は尊師です。わたしは、声聞(弟子)です』と言ったのでしょうけど、それに対しての『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』の意味がいまいちわかりません。


> この花を拈る話は、曹洞宗の伝統にも依っていると思います。と言うのは、法を伝えるのは、眼横鼻直という法則があるからです。「眼は横についていて、鼻は真っ直ぐ」というのは、法のあり方を述べていると、わたしは思っています。嗣法(法を嗣ぐ方法)は二つ、鼻という感覚器官を使って直接師から弟子へと伝えるのです。だから、「拈華微笑」の話になります。
> このように、鼻から鼻へと嗣法するのが、禅の嗣法の仕方だということで、道元禅師も、「嗣書」の中で夢に祖師から梅の一枝をもらっています。
> 「鼻」というのは、一種の喩えのようなものであって、直接知覚すると言うことだと、わたしは見ています。経典では「見る」と書かれる言葉です。

そうなんですか。
私は『眼横鼻直』は、『柳は緑 花は紅』と同じ意味だと思っていました。
柳が緑ではなく花が紅ではない、すべてが一色の状態から還ってきて
何も記憶の束をはさまない、何のフィルタ-もない状態で観ることだと解釈しました。
嗣法のことだとは、凄い深読みですね。

> 30 友よ、正しく語っているならば、尊師の子、嫡子、口から生まれたもの、法から生まれたもの、法の化生者、法の相続者は、麻布の着古した糞掃衣を受け取ったのは、誰と語るでしょうか。正しく語っているものであれば、尊師の子、嫡子であって、口から生まれたもの、法から生まれたもの、法の化生である、法の相続者は、このわたしを、着古した麻布の糞掃衣を受け取ったものと語ることでしょう。
>
> これ、パ-リ語仏典にある言葉なんですよね。テ-ラワ-ダが禅宗のために書いた経典ではないんですが、なんでこうなるんだろう、って感じです。
> カッサパは法の継承者と言ってもよいと、この経典を読むと、みな思うのではないでしょうか。
> この経典を禅宗は、わが身に受けとめてきたのかな、とも思います。
> 道元禅師には、神秘や未曾有は当てはまらないような気がするのですが、この経典を読むと、いつも不思議な気持になります。

そういえば、六祖慧能も五祖弘忍から衣をもらって嗣法しますね。
この仏陀と魔訶迦葉の故事から来ているのでしょうか。
このマハ-カッサパの言葉からは法の相続者の自覚があったことがわかりますね。
確かに、これらのことから拈華微笑となったのもわかりますね。
ありがとうございます。


 

  [No.22977] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/20(Wed) 06:26:09


ショ-シャンクさま おはようございます。

> 私は、このエピソ-ドは、マハ-カッサパが、在家の時から、仏陀の評判を聞いており、仏陀の弟子になろうと固く決めていたのだと思っています。

> つまり、髪を剃った時点では、仏陀の教えや仏陀の弟子が髪を剃ることなどを知っていたということかなと思っています。

確かにそうかもしれません。
髪とひげを剃るのは、仏教独特だったかもしれませんが、沙門・バラモンの中には、そういう人々もいたようです。行者の中でも、仏教以外にもいなかったわけではないらしいです。ですけど、ブッダであると一目で見てとったマハ-カッサパは、やはり炯眼の人物と言えるのかもしれません。

> ですから、カッサパも仏陀に会ったときに強引に、『尊者よ、わたしの師は尊師です。わたしは、声聞(弟子)です』と言ったのでしょうけど、それに対しての『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』の意味がいまいちわかりません。

これは、「見る」と「知る」について語っていますが、直接知覚と推論という二つの方法を指していると思います。ブッダは、よくこのように言います。また、虚偽の発言をしたら、「 頭が裂け落ちてしまう 」と言っていますが、これは、ウパニシャッドなどにでてくる表現で、討論等のとき、負けてしまう状態を言います。
ほんとに裂けるかどうかは知りませんが、よくこのように言われ、哲人達は、自分の得た真実のみを語ることをモット-にしています。

ですから、当時の知識人としては、真実のみ語り、決して自分の得てないことは語らないと宣言することは大事なことだったとも言えます。
客観的に見てわかる真理を語るわけではなく、自分だけが得た真理を語るので、これはとても大事なことだと思います。当時の沙門・バラモンたちは、おおよそ皆このようなことを守って対話していました。

> 私は『眼横鼻直』は、『柳は緑 花は紅』と同じ意味だと思っていました。
> 柳が緑ではなく花が紅ではない、すべてが一色の状態から還ってきて
> 何も記憶の束をはさまない、何のフィルタ-もない状態で観ることだと解釈しました。
> 嗣法のことだとは、凄い深読みですね。

深読みと言われてしまいました(笑)
この言葉は、中国から帰ってきた道元が、最初に説法した時に述べた言葉なので、大事なことが言われていると思っています。如浄和尚にであって、その時に即座に「眼横鼻直」を得ていますので、法について自分も受けとってきました、ということではないでしょうか。また、「空手還郷」と対になって語られるので、教えの根本に触れていると見てよいのではないでしょうか。「所以に一毫も仏法無し」も、見事なもので、決まった教えは受けとらなかったけれど、何を語っても、仏法を伝えているところがすごいなと思っています。

言ってみれば、ブッダがマハ-カッサパに「自分の得た真実のみを語り得ていないものは語らない」と語ったように、道元も又、最初に宣言していると、わたしは見ています。
>

> そういえば、六祖慧能も五祖弘忍から衣をもらって嗣法しますね。
> この仏陀と魔訶迦葉の故事から来ているのでしょうか。

そうですね。わかりませんが、衣に関しては、道元はたくさん語っています。おそらく、そうではないかと思っています。

> このマハ-カッサパの言葉からは法の相続者の自覚があったことがわかりますね。

パ-リ経典をよく読むと、「法の相続者は、マハ-カッサパがブッダの衣を受けとったと伝えるだろう」と言ってるだけだ、ともとれるのですが、ただそれだけの意味だと読ませないところが、すごいとも思います。

> 確かに、これらのことから拈華微笑となったのもわかりますね。

何か、曹洞宗の説いていることを読むと、パ-リ経典の新しい読み方が見えてくるようで、すごくおもしろいです。
ものすごく新鮮ですね。そして、ちがうと思っても、否定するだけの根拠が明確に出てこない、と言うところが、さすが道元とも思います。

経典というのは、そういう意味で、空だと述べられているとおりだと思っています。
空手還郷は、文字通りだったなあと感心しています。


 

  [No.22980] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/20(Wed) 11:20:53

石飛先生、おはようございます。


> > ですから、カッサパも仏陀に会ったときに強引に、『尊者よ、わたしの師は尊師です。わたしは、声聞(弟子)です』と言ったのでしょうけど、それに対しての『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』の意味がいまいちわかりません。
>
> これは、「見る」と「知る」について語っていますが、直接知覚と推論という二つの方法を指していると思います。ブッダは、よくこのように言います。また、虚偽の発言をしたら、「 頭が裂け落ちてしまう 」と言っていますが、これは、ウパニシャッドなどにでてくる表現で、討論等のとき、負けてしまう状態を言います。
> ほんとに裂けるかどうかは知りませんが、よくこのように言われ、哲人達は、自分の得た真実のみを語ることをモット-にしています。
> ですから、当時の知識人としては、真実のみ語り、決して自分の得てないことは語らないと宣言することは大事なことだったとも言えます。
> 客観的に見てわかる真理を語るわけではなく、自分だけが得た真理を語るので、これはとても大事なことだと思います。当時の沙門・バラモンたちは、おおよそ皆このようなことを守って対話していました。



ここは、どうもわからないですね。
マハ-カッサパが初めて会った仏陀に、『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』と強引とも思える言葉を投げかけます。
その言葉に対しての返答としてはあまりにもちぐはぐな感じがするのです。

初めて会った人に『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』と言われた場合、
『わかった。ついてきなさい。』とか『戒律は守れますか。』とかの返答ならわかりますが、
『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』と言う返答は一見的外れに見えます。

ひょっとすると十無記のようなことを想定したのでしょうか。
認識から外れた形而上のことは答えない、知っていること、見ていることのみを説くのであって、私が説かないものは説かないと受け取りなさい、ということを弟子入りに際して言ったとは考えられませんか。
つまり『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』に対し弟子とすることを前提として、弟子としてそれを心に留めておきなさいということのようにも思えてきました。違うかもしれませんが。



> > 私は『眼横鼻直』は、『柳は緑 花は紅』と同じ意味だと思っていました。
> > 柳が緑ではなく花が紅ではない、すべてが一色の状態から還ってきて
> > 何も記憶の束をはさまない、何のフィルタ-もない状態で観ることだと解釈しました。
> > 嗣法のことだとは、凄い深読みですね。
>
> 深読みと言われてしまいました(笑)
> この言葉は、中国から帰ってきた道元が、最初に説法した時に述べた言葉なので、大事なことが言われていると思っています。如浄和尚にであって、その時に即座に「眼横鼻直」を得ていますので、法について自分も受けとってきました、ということではないでしょうか。また、「空手還郷」と対になって語られるので、教えの根本に触れていると見てよいのではないでしょうか。「所以に一毫も仏法無し」も、見事なもので、決まった教えは受けとらなかったけれど、何を語っても、仏法を伝えているところがすごいなと思っています。


「山僧叢林を歴ること多からず。ただ是れ等閑に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず。すなわち空手還郷す。ゆえに一毫も仏法無し。任運に且く時を延ぶ。朝朝、日は東より出で、夜夜、月は西に沈む。雲収て山骨露れ、雨過ぎて四山低る。」

ここの『当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず』は、臨済の『但莫受人惑=ただ人惑を受けることなかれ』に通じるようにも思えます。
moha=迷妄 を差し挟まずに観よ、ということでしょうか。


 

  [No.22986] Re: マハ-カッサパ長老についての研究資料 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/20(Wed) 16:11:51

>
> (論文の目次)
http://www.sakya-muni.jp/monograph/09/8/
>
> のペ-ジにある、『本論文の概要』 だけでも、スト-リ-として把握できるかも?と思いました。
> わたしは論文読んでないですm(_ _)m


pipitさん、ありがとうございます。

※※※※※※
そしてその後に摩訶迦葉はその頃生れかけていた四住期(これもサンスクリット語ではāśramaという)という生活階梯にしたがって遊行生活に入った。これは妻と別れての生活である。摩訶迦葉が42歳のころのことであった。
ちょうどその頃釈尊も出家されてUruvelāにやって来られた。釈尊摩訶迦葉はこのころに出会い、肝胆相照らすところとなって、もし阿羅漢になったら互いに師となり弟子となろうと約束しあった。釈尊はこの時29歳であったから、摩訶迦葉は13歳ほど年長であったことになる。
林住期から遊行期に進んで以来、摩訶迦葉は隠遁的な遊行生活をしていて、釈尊が成道されたことも、マガダを中心に活動されていることも知らなかった。しかしやがて王舎城を中心に釈尊のサンガが形成され、活発に活動されていることを知ることとなった。釈尊摩訶迦葉の消息を知るに及んで、わざわざ王舎城から多子塔のところに赴かれて、久しぶりの再会を果たされた。そして以前の約束にしたがって、摩訶迦葉は「あなたが師、私が弟子」と宣言して釈尊の弟子となった。このような経歴が「もと外道」と呼ばれる原因となったのである。
この摩訶迦葉の帰仏は、おそらく白四羯磨具足戒法が制定された後のことで、釈尊が成道されてから10数年が経過していたと考えられる。したがって釈尊は50歳前後になっておられたが、摩訶迦葉はすでに60歳を越えていたのではないかと思われる。原始仏教聖典に登場する摩訶迦葉がすでに老齢に達しているのはそのためである。摩訶迦葉釈尊の弟子にはなったもののサンガの生活にはなじめず、以前と同じような頭陀行の生活を続けた。そこで後に摩訶迦葉は頭陀行第一と称されるようになった。
しかし頭陀行は一人で林の中に住み、あるいは一人で遊行する生活であるがゆえに、摩訶迦葉の存在は阿難など釈尊の教化活動の比較的後期に弟子となり、サンガの生活しか知らない比丘たちには知られなかった。そこで釈尊は半座を分けるなどのパフォ-マンスをして、摩訶迦葉が自分と同等の存在であって、決して軽視してはならないことを知らせる必要があった。
※※※※※※


とてもよくわかりました。
仏陀とマハ-カッサパはもともと修行時代に知っていた仲だったのですね。
ですから、仏陀が成道して布教していると聞いて、髪を剃って一目散に仏陀に会いに行き、「あなたが師、私が弟子」と宣言することができたのですね。
半座のこともやはりあったのですね。
すべてすっきりしました。
ありがとうございます。


 

  [No.22988] 半座についての論文のご紹介 投稿者:pipit  投稿日:2021/10/20(Wed) 16:44:19

ショ-シャンクさん、こんにちは(*^▽^*)
返信ありがとうございます!

半座のエピソ-ドは、もしかしたらパ-リ文献には直接は出てこないのかも、と思いました。
私自身は全然詳しくなくてすみません。

論文のペ-ジなどを引用させていただきますね。



「中央学術研究所紀要」モノグラフ篇 No.9
【論文9】「半座を分かつ」伝承について 岩井昌悟

(論文の目次)
http://www.sakya-muni.jp/monograph/09/9/
(論文)
http://www.sakya-muni.jp/pdf/09_02.pdf

『本論文の概要』には以下の文言がありました。↓

『また摩訶迦葉が半座を分かたれる記事は漢訳経典には数多く存するにもかかわらず、パ-リ文献には見られない。北伝と南伝とで摩訶迦葉の教団内における位置づけに差異が存在した(北伝伝承が南伝伝承よりも摩訶迦葉を重視していた)といったことも予想されるが、このことについては南伝においてもアッタカタ-で摩訶迦葉が「ブッダに似た者」と呼ばれており、この呼称が「半座」が含意するものを一語で表現しているため、そのような見解が妥当ではないことを明らかにした。』

おつかれさまです、ありがとうございます(*^▽^*)♪


 

  [No.22989] Re: 半座についての論文のご紹介 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/20(Wed) 17:22:54

pipitさん、いつも貴重な資料ありがとうございます。

今回の半座の資料もいろいろ考えさせられます。

精舎など次々と寄進があった仏教教団では、頭陀行などに価値を見出さない新しい人たちが増えていったのかもしれませんね。
しかも、精舎で暮らさず、林で一人暮らしている魔訶迦葉は誰も知らず、
新しい人には、ただの汚い恰好をしたお爺さんに見えたかもしれません。
それを感じて、仏陀が魔訶迦葉に半座を与えたとすれば、仏陀の優しさに泣けてきますね。

とても貴重な資料、ありがとうございました。


 

  [No.22990] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/20(Wed) 20:56:19


ショ-シャンクさま こんばんは。

たちまち、pipitさまから、資料をご紹介していただいて、ありがとうございます。
詳細な資料で、たいへん勉強になりますね。

それから、シャン坊さま、ショペンについて、ありがとうございます。
本が出た当時評判になりました、確かに。

また、「半座を分かつ」という表現も、知られてきます。
釈尊がマハ-カッサパのことを特別に扱ったというのは、読んだことがありますが、ここまで詳しく載っているとは、ほんと、インタ-ネットさまさまですね。
pipitさまに感謝です。


> ここは、どうもわからないですね。
> マハ-カッサパが初めて会った仏陀に、『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』と強引とも思える言葉を投げかけます。
> その言葉に対しての返答としてはあまりにもちぐはぐな感じがするのです。

あ、そうですか。

> 初めて会った人に『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』と言われた場合、
> 『わかった。ついてきなさい。』とか『戒律は守れますか。』とかの返答ならわかりますが、
> 『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』と言う返答は一見的外れに見えます。

『マッジマニカ-ヤ』の第140経に、プックサ-ティという比丘が出てくるのですが、彼は、このマハ-カッサパの出家と同じように、ブッダを指定して出家するのです。つまり、勝手に自分の師と定めて、この人のもとで修行しようと思って、出家するのですが、今とちがって携帯も何もないわけなので、出逢っても、ブッダとわからないかもしれないのです。実際、プックサ-ティは気づかなかったのです。

で、一晩の宿をとっていると、偶然ブッダと一緒になります。そして問われるままに、ブッダを指定して出家したことを話すと、ブッダは、その比丘に教えを説くのです。

教えを聞いているうちに「師にちがいない」と思って、非礼をわび、弟子にしてくれるように頼むというお話しがあります。

そこからすると、マハ-カッサパは尊師を見かけてすぐに「あなたが師で、わたしが弟子だ」と語っていますから、やはり相当の人物であったことがわかります。

覚った人を見抜く眼をもっていたということで、ブッダも、マハ-カッサパに合わせて対応しているのだと思います。みずから「師の資格あり」と語ったこの様子から見て、法の相続者と承認しているかのごとき対応ですので、わたしは、「拈華微笑」の、このエピソ-ドを禅宗がもっていることの方に驚きます。

> ひょっとすると十無記のようなことを想定したのでしょうか。
> 認識から外れた形而上のことは答えない、知っていること、見ていることのみを説くのであって、私が説かないものは説かないと受け取りなさい、ということを弟子入りに際して言ったとは考えられませんか。

いや、何かちがうような気がします。
「説かないものを説かないものとして受けとれ」というようなことではなしに、すぐに学ぶべきことを教えていますね。やはり、カッサパに向けた必要事項であったのではないでしょうか。わたし自身は、そんなにおかしくないと思っています。「見る」と「知る」は認識の重要な根拠になりますので、それを明らかにするのは、大前提であろうと思います。
自分は、師として、あなたカッサパに教えるだけの能力はありますよ、と告げているような感じがします。そして、すぐ教えを説きます。

=================
19.それ故に、カッサパよ、あなたはこのように学ばなければなりません。年長者たち、若い者たち、その間の(年の)人たちに対して、深い慚愧の心を起こしていましょう。カッサパよ、このようにあなたは学ばなければなりません。

20. それ故に、カッサパよ、あなたは、このように学ばなければなりません。わたしが聞く、どんな法も、それが善に関係するものはみな、大事にして注意をはらい、すべてに心を傾けて、傾聴して、法を聞きましょう。カッサパよ、このように学ばなければなりません。

21 それ故に、カッサパよ、あなたはこのように学ばなければなりません。喜悦をともなう、わたしの身体にある気づきは、捨てられることはないでしょう。このように、カッサパよ、あなたは学ばなければなりません。
===============『サンユッタニカ-ヤ』16.11「衣経」

これだけ教えると、起ち上がって行ってしまい、一週間位して戻って来たときには、カッサパは覚っているという、すごい展開です。

> つまり『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』に対し弟子とすることを前提として、弟子としてそれを心に留めておきなさいということのようにも思えてきました。違うかもしれませんが。

そのように考えてもよいかもしれません。「弟子として心に留めておきなさい」というのは、それでいいように思うからです。

>
> 「山僧叢林を歴ること多からず。ただ是れ等閑に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず。すなわち空手還郷す。ゆえに一毫も仏法無し。任運に且く時を延ぶ。朝朝、日は東より出で、夜夜、月は西に沈む。雲収て山骨露れ、雨過ぎて四山低る。」

そうそう、これです。

> ここの『当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず』は、臨済の『但莫受人惑=ただ人惑を受けることなかれ』に通じるようにも思えます。
> moha=迷妄 を差し挟まずに観よ、ということでしょうか。

「人に瞞されなくなった」と訳されていたりしますので、他人の言に惑わされたりすることなく、正法を会得したさまを表しているのかなと思っています。天道如浄和尚に出会って、たちどころに通じたというところなのかもしれません。

何か、ブッダとマハ-カッサパの邂逅を見るような、そんな感じがあります。


 

  [No.22991] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/20(Wed) 21:22:24


ショ-シャンクさま こんばんは。

> これだけ教えると、起ち上がって行ってしまい、一週間位して戻って来たときには、カッサパは覚っているという、すごい展開です。

ブッダもすごいが、カッサパもすごい、といったところですが、
ここは、
やはり、覚るというのは、尋定ではないのだと思うところです。
このブッダの時代、覚る人は、ゴロゴロいましたね。阿羅漢500人とか1000人とか集めて仏典結集を行っています。

出会って、話を聞いただけで、預流果に到達するなど、今とは考えられないほどです。
やはり、悟りに到達した人というのは、ふつう考えられないほどのインパクトがあったと見るべきなのかもしれません。


 

  [No.22992] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/21(Thu) 01:32:03

石飛先生、こんばんは。

> そこからすると、マハ-カッサパは尊師を見かけてすぐに「あなたが師で、わたしが弟子だ」と語っていますから、やはり相当の人物であったことがわかります。


pipitさんに教えていただいた資料によると、
仏陀が29歳の時、つまり出家して間もない修行時代に、仏陀とマハ-カッサパは出会って意気投合していたようです。
そして成道したら弟子になることも決めていたようです。
ですから、家を出る前に髪を剃って、そして出会ってすぐ『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』という言葉になったみたいです。初めて会う人にしては強引すぎるので、違和感がありました。



> 「説かないものを説かないものとして受けとれ」というようなことではなしに、すぐに学ぶべきことを教えていますね。やはり、カッサパに向けた必要事項であったのではないでしょうか。わたし自身は、そんなにおかしくないと思っています。「見る」と「知る」は認識の重要な根拠になりますので、それを明らかにするのは、大前提であろうと思います。
> 自分は、師として、あなたカッサパに教えるだけの能力はありますよ、と告げているような感じがします。そして、すぐ教えを説きます。
>
> =================
> 19.それ故に、カッサパよ、あなたはこのように学ばなければなりません。年長者たち、若い者たち、その間の(年の)人たちに対して、深い慚愧の心を起こしていましょう。カッサパよ、このようにあなたは学ばなければなりません。
>
> 20. それ故に、カッサパよ、あなたは、このように学ばなければなりません。わたしが聞く、どんな法も、それが善に関係するものはみな、大事にして注意をはらい、すべてに心を傾けて、傾聴して、法を聞きましょう。カッサパよ、このように学ばなければなりません。
>
> 21 それ故に、カッサパよ、あなたはこのように学ばなければなりません。喜悦をともなう、わたしの身体にある気づきは、捨てられることはないでしょう。このように、カッサパよ、あなたは学ばなければなりません。
> ===============『サンユッタニカ-ヤ』16.11「衣経」
>
> これだけ教えると、起ち上がって行ってしまい、一週間位して戻って来たときには、カッサパは覚っているという、すごい展開です。

なるほど。
つまり、 『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』という仏陀の言葉は、カッサパに対して、『知っているときにのみ知っていると言いなさい。見ているときにのみ見ていると言いなさい』ということを教えているのですね。
それなら納得です。
ありがとうございます。


 

  [No.22995] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/21(Thu) 07:09:48

ショ-シャンクさま おはようございます。

> pipitさんに教えていただいた資料によると、
> 仏陀が29歳の時、つまり出家して間もない修行時代に、仏陀とマハ-カッサパは出会って意気投合していたようです。
> そして成道したら弟子になることも決めていたようです。
> ですから、家を出る前に髪を剃って、そして出会ってすぐ『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』という言葉になったみたいです。初めて会う人にしては強引すぎるので、違和感がありました。

なるほど。この伝承は、そうなっていますね。
すでに出会っていた、ということなんですね。
これはこれで良いのですが、「外道であったことは一度もない」というところを考えると、目標である阿羅漢や正等覚者に出会えれば、それがわかることでことだ、ということで、マハ-カッサパの見る眼の確かさは維持されているようにも、思います。

森の生活を12年送ったとありますよね。
ちょっと、ここにひっかかったりもします。定型的なエピソ-ドを入れている可能性もあるな、というところです。
『マハ-バ-ラタ』などに出てくる話は、皆、隠遁生活12年になっているので。話を合わせた可能性もありますね。

ただ、この頭陀行をずっと行っていたというのは、大事かなとも思います。
外道であったことは一度もない、ということにつながるかと思います。
>
>
>
> > 「説かないものを説かないものとして受けとれ」というようなことではなしに、すぐに学ぶべきことを教えていますね。やはり、カッサパに向けた必要事項であったのではないでしょうか。わたし自身は、そんなにおかしくないと思っています。「見る」と「知る」は認識の重要な根拠になりますので、それを明らかにするのは、大前提であろうと思います。
> > 自分は、師として、あなたカッサパに教えるだけの能力はありますよ、と告げているような感じがします。そして、すぐ教えを説きます。
> >
> > =================
> > 19.それ故に、カッサパよ、あなたはこのように学ばなければなりません。年長者たち、若い者たち、その間の(年の)人たちに対して、深い慚愧の心を起こしていましょう。カッサパよ、このようにあなたは学ばなければなりません。
> >
> > 20. それ故に、カッサパよ、あなたは、このように学ばなければなりません。わたしが聞く、どんな法も、それが善に関係するものはみな、大事にして注意をはらい、すべてに心を傾けて、傾聴して、法を聞きましょう。カッサパよ、このように学ばなければなりません。
> >
> > 21 それ故に、カッサパよ、あなたはこのように学ばなければなりません。喜悦をともなう、わたしの身体にある気づきは、捨てられることはないでしょう。このように、カッサパよ、あなたは学ばなければなりません。
> > ===============『サンユッタニカ-ヤ』16.11「衣経」
> >
> > これだけ教えると、起ち上がって行ってしまい、一週間位して戻って来たときには、カッサパは覚っているという、すごい展開です。
>
> なるほど。
> つまり、 『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』という仏陀の言葉は、カッサパに対して、『知っているときにのみ知っていると言いなさい。見ているときにのみ見ていると言いなさい』ということを教えているのですね。
> それなら納得です。

これ、ショ-シャンクさま、「納得」されてますが、ここは、ちょっと、といいますか、かなり大事なことが言われていると思います。

カッサパに対して教えているのだ、で良いと思うのですが、ブッダのこの言葉ですが、

これ!実は、悟りの中身だと思います。

見ているときだけ「見ている」とのべ、知っているときだけ「知っている」と述べる人が、阿羅漢であり正等覚者なのだ、ということではないでしょうか。

だから、その後、「それ故に…」とある教えの内容が、カッサパに効いてくるのだと思います。
この中で、わたしには、
「喜悦をともなう、わたしの身体にある気づきは、捨てられることはないでしょう」というところ、非常に印象的です。これ、覚りの内容ですよね。

慚愧の念を起こしていなさい、とか、傾聴しなさい、とか、言っています。覚りに向かう最後の段階のような気がします。
慢のかけらを払いのけなさい、ということでしょう、おそらく。

ブッダとマハ-カッサパは、このエピソ-ドによって、確かに、カッサパが外道であったことは一度もないことを、しっかりわかり合っているのだな、と思います。

わたしは、そんな風に読みました。


 

  [No.23001] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/21(Thu) 10:15:37

石飛先生、おはようございます。


> なるほど。この伝承は、そうなっていますね。
> すでに出会っていた、ということなんですね。
> これはこれで良いのですが、「外道であったことは一度もない」というところを考えると、目標である阿羅漢や正等覚者に出会えれば、それがわかることでことだ、ということで、マハ-カッサパの見る眼の確かさは維持されているようにも、思います。


もしこの伝承が本当だとすれば、2人とも最初から相手を見抜く力があったということですね。
『 ちょうどその頃釈尊も出家された。釈尊摩訶迦葉はこのころに出会い、肝胆相照らすところとなって、もし阿羅漢になったら互いに師となり弟子となろうと約束しあった。釈尊はこの時29歳であったから、摩訶迦葉は13歳ほど年長であったことになる』
先に阿羅漢になった方が師となるという約束するというのは、お互いに『この人は必ず覚る。自分の師とすべき人だ』と見抜いていたことになります。
ですから再会してすぐ『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』という言葉になったのでしょう。この流れで行くと、この言葉がすんなり理解できます。


> 森の生活を12年送ったとありますよね。
> ちょっと、ここにひっかかったりもします。定型的なエピソ-ドを入れている可能性もあるな、というところです。
> 『マハ-バ-ラタ』などに出てくる話は、皆、隠遁生活12年になっているので。話を合わせた可能性もありますね。
> ただ、この頭陀行をずっと行っていたというのは、大事かなとも思います。
> 外道であったことは一度もない、ということにつながるかと思います。

特にインドは定型的な話になることが多いですからね。
伝承もわかりやすいように、定型化されている部分もかなり多いでしょうね。
隠遁生活の12年間に誰かを師としたことはないでしょうから、外道であったことはないはずです。
それとも、バラモンの家に生まれたら、仏教教団では揶揄して外道と言うことがあったのでしょうか。
女性ファンの多いア-ナンダを叱ると、比丘尼から外道だとか言われるのはつらいですね。



> > つまり、 『カッサパよ、わたしは知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』という仏陀の言葉は、カッサパに対して、『知っているときにのみ知っていると言いなさい。見ているときにのみ見ていると言いなさい』ということを教えているのですね。
> > それなら納得です。
>
> これ、ショ-シャンクさま、「納得」されてますが、ここは、ちょっと、といいますか、かなり大事なことが言われていると思います。
>
> カッサパに対して教えているのだ、で良いと思うのですが、ブッダのこの言葉ですが、
>
> これ!実は、悟りの中身だと思います。
>
> 見ているときだけ「見ている」とのべ、知っているときだけ「知っている」と述べる人が、阿羅漢であり正等覚者なのだ、ということではないでしょうか。
>
> だから、その後、「それ故に…」とある教えの内容が、カッサパに効いてくるのだと思います。
> この中で、わたしには、
> 「喜悦をともなう、わたしの身体にある気づきは、捨てられることはないでしょう」というところ、非常に印象的です。これ、覚りの内容ですよね。
>
> 慚愧の念を起こしていなさい、とか、傾聴しなさい、とか、言っています。覚りに向かう最後の段階のような気がします。
> 慢のかけらを払いのけなさい、ということでしょう、おそらく。
>
> ブッダとマハ-カッサパは、このエピソ-ドによって、確かに、カッサパが外道であったことは一度もないことを、しっかりわかり合っているのだな、と思います。
>
> わたしは、そんな風に読みました。


確かに、そう見ると、凄いことを言っていますね。


『深い慚愧の心を起こす』

『どんな法も、それが善に関係するものはみな、大事にして注意をはらい、すべてに心を傾けて、傾聴』

『喜悦をともなう、わたしの身体にある気づき』

『知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』


こういうことでしょうか。
慚愧や傾聴や気づきによって、『知っているときのみ「わたしは知っている」と述べます。見ている時のみ、「わたしは見ている」と述べます。』という阿羅漢の境地に達する。
そして、その通り実行したマハ-カッサパは、すぐに成道した、と。
おっしゃるように、これは極めて大切なことを言っているのかもしれませんね。
法の後継者となる人への仏陀の言葉ですから、ここはじっくりと把握したいと思います。
ありがとうございます。


 

  [No.23011] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/22(Fri) 08:39:34

ショ-シャンクさま おはようございます。

> もしこの伝承が本当だとすれば、2人とも最初から相手を見抜く力があったということですね。

> 先に阿羅漢になった方が師となるという約束するというのは、お互いに『この人は必ず覚る。自分の師とすべき人だ』と見抜いていたことになります。
> ですから再会してすぐ『私の師はあなたです。私はあなたの弟子です。』という言葉になったのでしょう。この流れで行くと、この言葉がすんなり理解できます。

ひっかかると言えば、ひっかかっているのがここなのですが、この伝承は、これでよいと思います。「互いにわかり合っていた」という一点ですよね。

問題は、「なぜ、互いにわかり合っていたのか」なのです。
わたし自身は、覚る事前に会っていてもあっていなくても、どちらでもかまわないと思うのですが、それは「互いにわかり合う」ためには、会う必要はないと思っているからです。

ブッダが探し求めていた真理について、共感できるかできないかは、その人の修行の仕方でおのずから見えてくるものがあるのだろうと思っています。『スッタニパ-タ』875から三つの偈は、そこを突いているのだろうと思います。


875 「わたしたちがたずねたことを、あなたは、わたしたちに語ってくれました。わたしたちは、あなたに他のことをお尋ねします。さあ、話してください。
― 或る人々は、このかぎりで頂点がある、とわたしたちに語ります。賢者たちは、ここにヤッカ(魂)の清らかさがある、と語ります。それとも、これよりまだ他にもあると語るのですか。」
876「或る人々は、このかぎりで頂点があるとも語ります。賢者たちは、ここにヤッカの清らかさがある、とします。さらに、かれらのうちの或る者たちは、断滅を説きます。(生存の)基礎の残りなき断滅について、(それを)善いと語っているのです。」
877. これらを知って、聖者は、『依止にいたった』と知って、依止するところを省察します。知ったのち、(それから)解脱して、争論に行くことはありません。賢者は、様々な生存に至ることはないのです。」


「賢者達」とあるのが、いわゆる、ブッダとは立場(?)を異にする者たちです。マハ-カッサパからみれば、「外道」と理解しているものになります、というか、なると思います。

それは、この掲示板で、メッタ-さまとわたしが、「ブッダ形而上学説を説かない」という点をめぐって議論したものと同じだと思います。

いったん仏教の側に立ちますと、仏教と非仏教を見わけることはたやすいのです。
それを説明しようとして、いろいろな単語、たとえば、形而上学だの、禅定だの、ナンダのカンダのと出していただけで、これは、インドにおいては、ヒンドゥ-教(バラモン教)の人々もわかっていることです。
だから、ヒンドゥ-教は、自分たちを正統派(ア-スティカ)と呼び、仏教的な立場に立つ人々を異端(ナ-スティカ)と名づけて区別しているのだと思います。

もちろん、どの宗教にも、修行の部分や自分たちの生き方に密接に結びつく要素を重要視するのですが、いわば、形而下を大切にするのですが、仏教と非仏教を比べると明らかにちがうところがあるのです。その一点が、「形而上学をもたない」という点なのです。また、別の言葉で言えば、「ア-トマンをもたない(無我)」でも良いと思います。言葉で言えば、そうなりますが、多くの人々は行道の中で何となく感得していったでしょうから、何も言わなくても、「あ、これだな」と察知したことと思います。

禅で不立文字というのも、そういうことだろうと思っています。覚っているのかどうか等、そんなことは言葉を解さないとわからないのか、というと、そんなことはないのです。

出会ったこともないブッダを指定して、修行する者たちが出るのも、わかるような気がします。

その意味では、多くの勝れた修行者が輩出して、聖者がゴロゴロあふれているインドにおいても、ブッダは、他とは一線を画しているのです。いってみれば、彼は、何も説くものをもたないという点で、他を圧倒しているのです。
説くべき法もないのに、人々に教えを説いて救うとは、ほんとに、信じられないと思います。

「(ブッダは)何も説かなかった」ということ、ここがメインの教えになっている宗教は、ふつうに考えたらありえない、と思います。でも、それだからこそ、苦しみがないのだと分かるのです。仏教が人々や生き物を癒やしてきたのは、「何も説かない」ことを守ってきたからではないでしょうか。

実は、ショ-シャンクさまが、[No.22992]で、「それなら納得です」といわれた時、おそらく春間さまもひっかかったと思いますが、わたしも、ちょっと「ん?」と思い、なぜだろうと思ってかんがえていった結果、ここにたどり着きました。

「何か大事なものがあるのだろう」ということではなく「そうではないのだ」とただ説くだけの教えが仏教なのかもしれません。


 

  [No.23012] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/22(Fri) 10:15:02

石飛先生、おはようございます。

> もちろん、どの宗教にも、修行の部分や自分たちの生き方に密接に結びつく要素を重要視するのですが、いわば、形而下を大切にするのですが、仏教と非仏教を比べると明らかにちがうところがあるのです。その一点が、「形而上学をもたない」という点なのです。また、別の言葉で言えば、「ア-トマンをもたない(無我)」でも良いと思います。言葉で言えば、そうなりますが、多くの人々は行道の中で何となく感得していったでしょうから、何も言わなくても、「あ、これだな」と察知したことと思います。
> 禅で不立文字というのも、そういうことだろうと思っています。覚っているのかどうか等、そんなことは言葉を解さないとわからないのか、というと、そんなことはないのです。
> 出会ったこともないブッダを指定して、修行する者たちが出るのも、わかるような気がします。
> その意味では、多くの勝れた修行者が輩出して、聖者がゴロゴロあふれているインドにおいても、ブッダは、他とは一線を画しているのです。いってみれば、彼は、何も説くものをもたないという点で、他を圧倒しているのです。
> 説くべき法もないのに、人々に教えを説いて救うとは、ほんとに、信じられないと思います。
> 「(ブッダは)何も説かなかった」ということ、ここがメインの教えになっている宗教は、ふつうに考えたらありえない、と思います。でも、それだからこそ、苦しみがないのだと分かるのです。仏教が人々や生き物を癒やしてきたのは、「何も説かない」ことを守ってきたからではないでしょうか。

> 「何か大事なものがあるのだろう」ということではなく「そうではないのだ」とただ説くだけの教えが仏教なのかもしれません。



仏陀形而上学を説かなかったというのはその通りだと思います。
仏陀は、一切は燃えている、一切を厭離せよ、と説きました。
仏陀の言う一切とは、眼耳鼻舌身意とその対象の色声香味触法です。
そして、一切を厭離した後に何があるかは説きませんでした。

仏陀形而上学を説かなかったのは、それが『涅槃に赴かず、解脱に赴かない』からです。
形而上学をいくら思惟していても、それは五蘊の『想』にしか過ぎず、執着となるからです。

しかしながら、大乗仏教を基とされている先生が、形而上学があると仏教ではないと言われるのは不思議です。
大乗仏教は形而上の世界を説いているからです。
浄土教阿弥陀仏を、密教大日如来を、法華経は久遠実成の釈迦如来を、華厳経毘盧遮那仏の悟りの世界として蓮華蔵世界海などを説いています。
これらはすべて『感覚ないし経験を超え出でた世界』です。
つまり形而上の世界です。


先生が挙げておられた、スッタニパ-タ875からの三つの偈ですが、
『霊(たましい)の最上の境地』という常見と
『精神も肉体も残りなく消滅する断滅』という断見も
どちらも『これらの偏見はこだわりがある』と見て、仏陀は、常見に対しても断見に対しても論争に赴かない、と言う意味のように思えます。


 

  [No.23015] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/22(Fri) 13:09:53

ショ-シャンクさま こんにちは。

> しかしながら、大乗仏教を基とされている先生が、形而上学があると仏教ではないと言われるのは不思議です。
> 大乗仏教は形而上の世界を説いているからです。
> 浄土教阿弥陀仏を、密教大日如来を、法華経は久遠実成の釈迦如来を、華厳経毘盧遮那仏の悟りの世界として蓮華蔵世界海などを説いています。
> これらはすべて『感覚ないし経験を超え出でた世界』です。
> つまり形而上の世界です。

そう見てしまうと、大乗は、他の宗教と同じようなものになってしまいます。
そこを、そうではないと語っているのが、最近の、わたしの仕事になっています(笑)。

認識の問題を、思惟・思考で片づけてしまうと、たやすく形而上学にいきます。
ですから、大乗仏教の諸仏・諸菩薩の世界は、現実的ではない三千大千世界が対象で、それこそ、思惟のみで作りあげた形而上学のように見えますが、実際は、そうではありません。

どこまでも、認識の範囲、十二処・十八界で語られるものです。

> これらはすべて『感覚ないし経験を超え出でた世界』です。

ちがうのではないかと思います。阿弥陀仏が西方極楽世界に住していても、そこで説かれるのは縁起にもとづく教えであり、空性の世界であり、煩悩を抱える凡夫に向けられた教えなのです。

久遠の本仏が説かれていても、形而上学に行かないのは、涅槃や悟りという、わたしたちに直結する問題を飛び越えてはいかないからです。苦の滅という、この目標は、形而上へとすぐに行ってしまいがちな思考の癖をよく見抜いてたてられた境地と言わざるをえません。

六入の中にマナス(心)というのが入っていて、形而上へといく要素はあるのですが、決していくことがなく、絶えず現実に引き戻されるのは、諸行無常一切皆苦、戯論寂滅、涅槃寂静という、この法を常に抑えて語るからだと思います。

梁塵秘抄に説かれるように、
「仏は常にいませどもうつつならぬぞあはれなる人の音せぬ暁にほのかに夢に見え給ふ」
と、
形而上学へと行かない世界を表しています。「仏は常にいる」とは言いながら、そこで終わりません。ほのかに夢に出てくるだけだとうたっています。ここは認識の世界です。

『ジャ-タカ』に説かれる過去世物語が、奇想天外な物語であっても、苦を逃れようとする生き物たちの行いを描いている限り、現実を語るものとなります。

「現成公案」に、こんなのがありますね。
====
「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ」
師いはく、
「なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず」
=====

風の性質は常住なのになぜ扇を使うのか、と聞かれて和尚は答えます。風の性質は常住だと言うのはよい(形而上学的)、しかし無処不周という道理(認識の現実)を知らないようだ」と答えるのです。

「風というのは、この世界のどこにでもあって、至らないところはない」と知るからこそ、(それを確かめるため)、暑いときにはあおぐのである。仰ぐところに風は起こる、のです。ここも認識の世界です。

> 先生が挙げておられた、スッタニパ-タ875からの三つの偈ですが、
> 『霊(たましい)の最上の境地』という常見と
> 『精神も肉体も残りなく消滅する断滅』という断見も
> どちらも『これらの偏見はこだわりがある』と見て、仏陀は、常見に対しても断見に対しても論争に赴かない、と言う意味のように思えます。

そうです。おっしゃる通りで良いと思います。魂の永遠の境地も、断滅を説く一種の唯物論的な境地も、形而上学的なこだわりを持ちます。
そのような見解に趣かないので、ブッダは認識の世界の中にいることが分かるのではないでしょうか。

こうして、ブッダの世界では、現実のみ見つめると、空の世界が広がり、過去や未来も合わせてみていくなら、縁起する世界が広がります。

たとえエデンの園でも、諸行が無常であるならば、その世界は名を変えただけで、わたしたちの認識世界となります。


 

  [No.23017] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/22(Fri) 16:40:34

石飛先生、こんにちは。

> > しかしながら、大乗仏教を基とされている先生が、形而上学があると仏教ではないと言われるのは不思議です。
> > 大乗仏教は形而上の世界を説いているからです。
> > 浄土教阿弥陀仏を、密教大日如来を、法華経は久遠実成の釈迦如来を、華厳経毘盧遮那仏の悟りの世界として蓮華蔵世界海などを説いています。
> > これらはすべて『感覚ないし経験を超え出でた世界』です。
> > つまり形而上の世界です。
>
> そう見てしまうと、大乗は、他の宗教と同じようなものになってしまいます。
> そこを、そうではないと語っているのが、最近の、わたしの仕事になっています(笑)。
> 認識の問題を、思惟・思考で片づけてしまうと、たやすく形而上学にいきます。
> ですから、大乗仏教の諸仏・諸菩薩の世界は、現実的ではない三千大千世界が対象で、それこそ、思惟のみで作りあげた形而上学のように見えますが、実際は、そうではありません。
> どこまでも、認識の範囲、十二処・十八界で語られるものです。


仏教と非仏教に分けなければいけないものでしょうか。
先生は、仏教は排除しないということを共通項に挙げておられたように思います。
受け入れるということです。
大乗仏教に他の宗教と共通なものがあってもいいと思いますし
ここまで多様化した仏教ですから、かなり他の宗教の影響を受けていると思います。

そもそも仏陀は、自分を仏教なるものの宗祖だとは思っておらず、教団を主催している意識もありませんでした。
自分の説いた法が衆生を善い方向に導けばいいと思っていたように思えます。

仏陀が外道として非難したことにははっきりとした理由があると思います。
その考えが、解脱に赴かず束縛に赴く考えや、死後悪趣に赴かせるような考えに対しては、徹底的に論破しました。
それは非仏教排除とかいう意識からではなかったと思います。
例えば、業とその結果を認めない運命論を説く宗派などに対しては、
『一人を除いて全員、天界に行ってない。』と言いました。悪趣に行っているということです。
そして、その一人だけは、業とその結果を認めていたということです。

仏陀が、重んじたのは、行為とその報いです。
ここを説いてない教えに関しては、かなり非難しています。
ジャイナ教も行為とその報いを説いていますので、ある程度は仏陀も認めていましたが、
しかし、ジャイナ教は想いより身体の行為の方が重要だと言ったので、仏陀に徹底的に論破されています。



> > これらはすべて『感覚ないし経験を超え出でた世界』です。
>
> ちがうのではないかと思います。阿弥陀仏が西方極楽世界に住していても、そこで説かれるのは縁起にもとづく教えであり、空性の世界であり、煩悩を抱える凡夫に向けられた教えなのです。
>
> 久遠の本仏が説かれていても、形而上学に行かないのは、涅槃や悟りという、わたしたちに直結する問題を飛び越えてはいかないからです。苦の滅という、この目標は、形而上へとすぐに行ってしまいがちな思考の癖をよく見抜いてたてられた境地と言わざるをえません。
>
> 六入の中にマナス(心)というのが入っていて、形而上へといく要素はあるのですが、決していくことがなく、絶えず現実に引き戻されるのは、諸行無常一切皆苦、戯論寂滅、涅槃寂静という、この法を常に抑えて語るからだと思います。


西方極楽浄土に住した阿弥陀仏という存在は、私たちの肉体の感覚や経験では把握されません。
そのような存在を理性で認識しようとするのが形而上学であるとすれば、阿弥陀仏の存在はどうしても形而上の世界となります。
特に、親鸞は、最晩年に無上仏を『形がないもの』と認識していました。
肉体の感覚を超えたものというしかありません。


> 「現成公案」に、こんなのがありますね。
> ====
> 「風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ」
> 師いはく、
> 「なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず」
> =====
>
> 風の性質は常住なのになぜ扇を使うのか、と聞かれて和尚は答えます。風の性質は常住だと言うのはよい(形而上学的)、しかし無処不周という道理(認識の現実)を知らないようだ」と答えるのです。
> 「風というのは、この世界のどこにでもあって、至らないところはない」と知るからこそ、(それを確かめるため)、暑いときにはあおぐのである。仰ぐところに風は起こる、のです。ここも認識の世界です。

道元は『人間本来覚っているものであれば、なぜわざわざ修行しなければならないのか?』という疑問を抱き続け探求しました。
ですから、この風の公案は一層印象深いものだったでしょう。
特に禅は、形而上的な探求から極限まで行って悟った人が多い気がします。
盤珪は『明徳』を探求しました。


> > 先生が挙げておられた、スッタニパ-タ875からの三つの偈ですが、
> > 『霊(たましい)の最上の境地』という常見と
> > 『精神も肉体も残りなく消滅する断滅』という断見も
> > どちらも『これらの偏見はこだわりがある』と見て、仏陀は、常見に対しても断見に対しても論争に赴かない、と言う意味のように思えます。
>
> そうです。おっしゃる通りで良いと思います。魂の永遠の境地も、断滅を説く一種の唯物論的な境地も、形而上学的なこだわりを持ちます。
> そのような見解に趣かないので、ブッダは認識の世界の中にいることが分かるのではないでしょうか。
>
> こうして、ブッダの世界では、現実のみ見つめると、空の世界が広がり、過去や未来も合わせてみていくなら、縁起する世界が広がります。


日常の唯物的な見方であれば、必ず断滅=断見になります。
どのような生き物であれ、死んだ後は死体の他は何も残らず、その死体も腐ったり灰になったり土に還ったりします。
五官の認識では、存続するものはないのですから、どうしても断見となります。
唯物論は、単純に肉体の五官の認識しか認めないのですから、形而上ではありません。
形而上とは感覚や経験を超えたものを指しますから、唯物論は形而下の認識そのものです。


> たとえエデンの園でも、諸行が無常であるならば、その世界は名を変えただけで、わたしたちの認識世界となります。

もしそうであれば、最初に戻りますが、エデンの園を説くキリスト教も仏教と何が違うのでしょうか。
エデンの園も認識の範囲、十二処・十八界なのであれば、形而下であり仏教と言うことになりませんか。


 

  [No.23019] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/22(Fri) 23:41:48


ショ-シャンクさま こんばんは。

> 仏教と非仏教に分けなければいけないものでしょうか。
> 先生は、仏教は排除しないということを共通項に挙げておられたように思います。
> 受け入れるということです。

そうです。仏教と非仏教に分けたくて分けているわけではありません。見解が出てくると、自然と非仏教の要素が出てきてしまうのです。
変化する世界では、波のうねりのように、岩にぶつかるときもあり岩とただ接しているだけのときもあります。岩を他者との問答と考えてもらうなら、喩えになるかな。どうでしょうね。

ブッダは、こう言っています。
=======『サンユッタ・ニカ-ヤ』22.94「花経」
3 比丘たちよ。わたしは世間と争論を起こすことはない。世間がわたしと争論を起こすのである。比丘たちよ。法を語るものは、世間にいる誰とも争論することはない。
========

> 大乗仏教に他の宗教と共通なものがあってもいいと思いますし
> ここまで多様化した仏教ですから、かなり他の宗教の影響を受けていると思います。

もちろん、他の宗教の影響も受けます。それは人々の考え方が、それの影響を受けているからです。
仏教の場合、どのような社会、あるいは、どのような思想にあっても、それらと協調してやって行くことができます。
つまり、他の宗教があったとしても、そこに苦しみを抱えた人々がたくさんいるからです。
宗教が、苦を生みだしていることすらあります。そうなると、仏教の働く余地が出てきます。

ですから、たとえば、インドではヒンドゥ-教の中に起こる変化に合わせて、仏教も変化していきます。タントリズムが全盛になると、仏教も、仏教タントリズムという流れが生まれてきます。
>
> そもそも仏陀は、自分を仏教なるものの宗祖だとは思っておらず、教団を主催している意識もありませんでした。
> 自分の説いた法が衆生を善い方向に導けばいいと思っていたように思えます。

このあたりがむずかしいところですが、「師の握り拳はない」とア-ナンダに言って、わたし(ブッダ)が教団のために何か遺言などを残すだろう、と言うことはない、といって、「自己をよりどころとせよ、法をよりどころとせよ(自洲法洲)」という言葉を与えるのですが、しかし、なくなる直前には、皆の質問にいろいろ答えて、教え導くことを最後まで諦めていませんでした。

教団が存続して行くため、仏法が人々を救っていくため、ブッダは、ただ善い方向に導いて、それで終わろうとしていたのではなく、常に未来の人々に至るまで、救おうとしていたと思います。三宝を敬うことを教えています。非常に巧みな方法をとって、残された者たちだけでも、自分たちでやっていけるように、あれこれ心をくだいていると思います。

> 仏陀が外道として非難したことにははっきりとした理由があると思います。
> その考えが、解脱に赴かず束縛に赴く考えや、死後悪趣に赴かせるような考えに対しては、徹底的に論破しました。
> それは非仏教排除とかいう意識からではなかったと思います。

もちろん、そのように取ることもできますし、そうであることに反対はしません。しかし、理想の状態が出現したときは、皆が解脱し涅槃の境地にあれば、仏教でないものはなくなっているでしょう。

相手の心にどう映るかだと思います。ブッダの教えが、非仏教を排除するように受けとめた人は、そのように受けとめたのであり、又、融和した教えを説いているように受けとめた人は、そのようであると思います。
非仏教という意識は、仏教に対抗しようする人々の心の中に生まれるもので、そこにこだわりがあるのです。それは、はっきりとした見解となって現れることが多いので、対立しているように見えるのだと思います。

> 仏陀が、重んじたのは、行為とその報いです。
> ここを説いてない教えに関しては、かなり非難しています。
> ジャイナ教も行為とその報いを説いていますので、ある程度は仏陀も認めていましたが、
> しかし、ジャイナ教は想いより身体の行為の方が重要だと言ったので、仏陀に徹底的に論破されています。

行為とその報いというのは、相手からすると、見解の違いのように見えたりするかもしれません。ここも、「非難しているわけではないのだ」とも言おうと思えば言えますが、一端非難と受けとめた人には、そうではない、といっても聞く耳はもたないことでしょう。

> 西方極楽浄土に住した阿弥陀仏という存在は、私たちの肉体の感覚や経験では把握されません。

それは、ショ-シャンクさまには、そうかもしれませんが、誰でもがそうとは限りません。
臨終の時にあらわれて迎えに来て下さる、と考える人もいますし、そういう体験もあるでしょう。観仏という禅定を行う人もいます。口から出る「南無阿弥陀仏」は、音声です。それを誰が聞くのか。声に出した自分が聞くのです。

> そのような存在を理性で認識しようとするのが形而上学であるとすれば、阿弥陀仏の存在はどうしても形而上の世界となります。

理性で認識しようとするのではないでしょう。理性は認識の道具ではありません。六根と言われます。理性にあたるものを考えると、マナス(意)という心を使って認識するのです。認識されるものは法(思われたもの)です。思われたものとして想に浮かびあがるかもしれません。
もし理性がとらえるのなら、まったく仏教とは異なる道具立てを使うことになるのだろうと思います。

> 特に、親鸞は、最晩年に無上仏を『形がないもの』と認識していました。
> 肉体の感覚を超えたものというしかありません。

無上仏は、なるべき仏ですよね。阿弥陀仏がすべての人々を無上仏にしようという意味で
用いられています。
=====
無上仏はかたちもましまさぬゆえ自然(じねん)とまふすなり。かたちましますと示すときは無上涅槃とはまふさずかたちもましまさぬやうをしらせんとてはじめに弥陀仏とぞききならひてさふらふ。弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり。
この道理をこころゑつるのちにはこの自然のことはつねにさたすべきにはあらざるなり。
====

おそらく理性で認識する形而上の仏だと読んでしまったら、仏教からは脱落するのじゃないでしょうか。「かたちましまさぬ」は、認識の領域で語られています。なぜかというと、自然(じねん)と言い換えられるからです。

無上涅槃はかたちもない、成仏は滅度ということだ、と理解してもよいのかもしれません。かたちのあるときは、無上涅槃ではないわけですから。
無上涅槃はもっとも苦しみのない状態が出現しています。


> 道元は『人間本来覚っているものであれば、なぜわざわざ修行しなければならないのか?』という疑問を抱き続け探求しました。

そうですか?

> ですから、この風の公案は一層印象深いものだったでしょう。

あれ?!まったく違う意図だったのですが。。
=============
仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆゑに、仏家の風は大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。
=============

風性常住は、一般に理解されている意味とは異なりますよ、ということだと思います。

風性が常住なので有れば扇を使わずとも良いでしょう、使わないときも風を感じるべきだ、というのであれば、常住の意味も、風性の意味も知らないということだ。風の性質は常住だからこそ、仏教で説いている風は、大地に豊かな黄金の実りをもたらし、長河からも熟した恵みをもたらしてくれるのである。


>
> 日常の唯物的な見方であれば、必ず断滅=断見になります。
> どのような生き物であれ、死んだ後は死体の他は何も残らず、その死体も腐ったり灰になったり土に還ったりします。
> 五官の認識では、存続するものはないのですから、どうしても断見となります。

身体について、ですね。身体は破れて滅します。しかし、心は?

> 唯物論は、単純に肉体の五官の認識しか認めないのですから、形而上ではありません。
> 形而上とは感覚や経験を超えたものを指しますから、唯物論は形而下の認識そのものです。

唯物論という考え方は、心も断滅すると説きますが、これは、形而下の認識そのものでしょうか。覚った者の心であれば、滅度するかもしれませんが。

この世の中には、生まれてくる命がたくさんあります。身体をそなえ心をそなえて、生き物たちは活動します。唯物論も、ある種の形而上学とも言えます。感覚や経験を超えて心の断滅を語っているからです。もし、感覚でとらえられるなら、なぜ生き物たちは生まれてくるのか、そして、その生き物たちはなぜ心をそなえているのか、それを説明できないことになりませんか。

断滅論も、ブッダによってパスされてしまいます。「こだわりがある」ということで、近づかないものだと言えます。

> > たとえエデンの園でも、諸行が無常であるならば、その世界は名を変えただけで、わたしたちの認識世界となります。
>
> もしそうであれば、最初に戻りますが、エデンの園を説くキリスト教も仏教と何が違うのでしょうか。
> エデンの園も認識の範囲、十二処・十八界なのであれば、形而下であり仏教と言うことになりませんか。

エデンの園が認識の範囲で事足りるなら、仏教ということになりましょう。
アダムは耕し、イブは子どもを育てますかね。絶対存在の神はなくなり、代わりに諸行無常の風がふきますね。ブッダの法の行きわたる世界になります。

りんごはただの果物で、智慧は、精進努力と気づきに禅定といったものから生まれることになります。生死の世界と欲の世界、渇愛の世界で、苦しむのが衆生ということになって、娑婆世界という代わりにエデンといわれることになるのかな。

神がいなくなるのがまずいと思うなら、やはり、エデンの園諸行無常の世界であってはならないです。


 

  [No.23021] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/23(Sat) 03:13:08

石飛先生、こんばんは。

先生が
仏教=形而上を説かない
非仏教=形而上を説くもの
と分けられているのは、わかりました。

しかし、

> > 西方極楽浄土に住した阿弥陀仏という存在は、私たちの肉体の感覚や経験では把握されません。
>
> それは、ショ-シャンクさまには、そうかもしれませんが、誰でもがそうとは限りません。
> 臨終の時にあらわれて迎えに来て下さる、と考える人もいますし、そういう体験もあるでしょう。観仏という禅定を行う人もいます。口から出る「南無阿弥陀仏」は、音声です。それを誰が聞くのか。声に出した自分が聞くのです。

それもすべて、感覚や経験で把握されるものであり、形而上ではない、だから仏教である、と言われます。
形而上があったら仏教ではない、という前提を設定されるので、仏教に関するものはどれも形而上ではないと強引に結論付けられているような気がします。
もし、神や仏を見たり、神や仏の名前を口で唱えたりすることで、形而上ではない、肉体の感覚や経験の範囲なのだということであれば、仏教に限らず、キリスト教でもイスラム教でもヒンドゥ-教でも神の名前を唱えたり、実際に神の姿を見たという人もいます。
どこが違うのでしょうか。

仏陀はその教えの中で、神や仏という、肉体で認識されないものを信仰することは教えませんでした。
しかし、最後、自らの死の直前、自分の遺骨を塔にまつって礼拝するように言いました。
これにより、後に大乗仏教が起き、久遠実成の釈迦如来を信仰するという流れになったように思えます。

仏陀も生前、梵天などの神々の存在には言及していますが、その神々を信仰したりすることは説きませんでした。
ですから、やはり、仏陀の遺言は大乗仏教の興隆に大きな影響を与えたと思っています。



> > 道元は『人間本来覚っているものであれば、なぜわざわざ修行しなければならないのか?』という疑問を抱き続け探求しました。
> そうですか?
>
> > ですから、この風の公案は一層印象深いものだったでしょう。
> あれ?!まったく違う意図だったのですが。。
> =============
> 仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆゑに、仏家の風は大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。
> =============
>
> 風性常住は、一般に理解されている意味とは異なりますよ、ということだと思います。
>
> 風性が常住なので有れば扇を使わずとも良いでしょう、使わないときも風を感じるべきだ、というのであれば、常住の意味も、風性の意味も知らないということだ。風の性質は常住だからこそ、仏教で説いている風は、大地に豊かな黄金の実りをもたらし、長河からも熟した恵みをもたらしてくれるのである。


道元が抱いていた命題とこの風の公案は全く関係がないと思われるのですか。
私は、本証妙修という、道元の達した真髄そのものだと思っていますが。


> > 日常の唯物的な見方であれば、必ず断滅=断見になります。
> > どのような生き物であれ、死んだ後は死体の他は何も残らず、その死体も腐ったり灰になったり土に還ったりします。
> > 五官の認識では、存続するものはないのですから、どうしても断見となります。
>
> 身体について、ですね。身体は破れて滅します。しかし、心は?
>
> > 唯物論は、単純に肉体の五官の認識しか認めないのですから、形而上ではありません。
> > 形而上とは感覚や経験を超えたものを指しますから、唯物論は形而下の認識そのものです。
>
> 唯物論という考え方は、心も断滅すると説きますが、これは、形而下の認識そのものでしょうか。覚った者の心であれば、滅度するかもしれませんが。
>
> この世の中には、生まれてくる命がたくさんあります。身体をそなえ心をそなえて、生き物たちは活動します。唯物論も、ある種の形而上学とも言えます。感覚や経験を超えて心の断滅を語っているからです。もし、感覚でとらえられるなら、なぜ生き物たちは生まれてくるのか、そして、その生き物たちはなぜ心をそなえているのか、それを説明できないことになりませんか。
>
> 断滅論も、ブッダによってパスされてしまいます。「こだわりがある」ということで、近づかないものだと言えます。


形而上学ググると『感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根因)や、物や人間の存在の理由や意味など、感覚を超絶したものについて考える。対立する用語は唯物論である。』とあります。
先生が考えられている形而上学とはこの定義とは違うということでしょうか。



> > > たとえエデンの園でも、諸行が無常であるならば、その世界は名を変えただけで、わたしたちの認識世界となります。
> >
> > もしそうであれば、最初に戻りますが、エデンの園を説くキリスト教も仏教と何が違うのでしょうか。
> > エデンの園も認識の範囲、十二処・十八界なのであれば、形而下であり仏教と言うことになりませんか。
>
> エデンの園が認識の範囲で事足りるなら、仏教ということになりましょう。
> アダムは耕し、イブは子どもを育てますかね。絶対存在の神はなくなり、代わりに諸行無常の風がふきますね。ブッダの法の行きわたる世界になります。
>
> りんごはただの果物で、智慧は、精進努力と気づきに禅定といったものから生まれることになります。生死の世界と欲の世界、渇愛の世界で、苦しむのが衆生ということになって、娑婆世界という代わりにエデンといわれることになるのかな。
>
> 神がいなくなるのがまずいと思うなら、やはり、エデンの園諸行無常の世界であってはならないです。


エデンの園にしても、西方極楽浄土にしても、この肉体の感覚で把握されないものであるのに、なぜ一方は形而上で一方は形而下だと言われるのでしょう。
エデンの園もアダムとイブがいなくなったりして、少しは変化していて無常なところもありますね。
西方極楽浄土は必ず西方にあり変化もそれほどないように思えますが。
何か、一方だけを形而上だ、仏教ではない、一方を形而下だ、仏教だ、という決めつけが最初にあるような気がします。


 

  [No.23027] 風性常住と道元の本証妙修 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/23(Sat) 07:53:49

> > 道元は『人間本来覚っているものであれば、なぜわざわざ修行しなければならないのか?』という疑問を抱き続け探求しました。
> そうですか?
>
> > ですから、この風の公案は一層印象深いものだったでしょう。
> あれ?!まったく違う意図だったのですが。。
> =============
> 仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆゑに、仏家の風は大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。
> =============
>
> 風性常住は、一般に理解されている意味とは異なりますよ、ということだと思います。
>
> 風性が常住なので有れば扇を使わずとも良いでしょう、使わないときも風を感じるべきだ、というのであれば、常住の意味も、風性の意味も知らないということだ。風の性質は常住だからこそ、仏教で説いている風は、大地に豊かな黄金の実りをもたらし、長河からも熟した恵みをもたらしてくれるのである。


道元が抱いていた命題とこの風の公案は全く関係がないと思われるのですか。
私は、本証妙修という、道元の達した真髄そのものだと思っていますが。

※※※※※※


春間さん、春間さんはよく道元の言葉を書いていると思います。
それであれば、道元が『「本来本法性 天然自性身」なのに、なぜ修行をしなければならないのか』という疑問を探求し続けたことは当然知っていますね?
そして、その探求の末に、本証妙修という結論に達したことも知っていますね。
私は、石飛先生が書かれた風性常住の話は、本証妙修そのものだと考えていますが、どう思いますか?


 

  [No.23036] Re: 風性常住と道元の本証妙修 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/23(Sat) 09:11:54


> 関係がない ということは、 何に関係することですか ?

> 「 真髄 」 とは 何ですか ?

>
> 「 本証 妙修 」 の 本証 ・ 妙 とは どのようなことですか ?
>
>
> 同じ土俵 に 上がっていますか ?
> ( わたし は 話し を はぐらかしていますか ? )

> ( わたしは 逃げていますか ? )

> その( あなたの得ている )結論 は
> 道元の 「 本証妙修 」 に 起きていますか ?

> 「 本証 妙修 」 の 本証 ・ 妙 とは どのようなことですか ?




春間さん、私は真摯に質問しているのですが、何も答えることなしに、質問には質問で返すのであれば、無駄だったようです。

私の中では、風性常住の話は本証妙修そのままであることは明白なので『あれ?!まったく違う意図だったのですが。。』と言われたことにびっくりして、春間さんに質問してみました。
しかし、無駄でした。


 

  [No.23030] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/23(Sat) 08:38:54

ショ-シャンクさま おはようございます。

ショ-シャンクさまとわたしは、いつも、龍樹が説くところの「始めは同じで後で異なってくるもの(初同後異)」という展開になっているようですね。
違うところが、やっぱり出てきたなあという感じがします。


> 先生が
> 仏教=形而上を説かない
> 非仏教=形而上を説くもの
> と分けられているのは、わかりました。

まあ、わたしが「分けた」というより、ショ-シャンクさまには、その方がわかりやすいかと思って分けているだけです。話の流れで、そういうことになってきていますが、ちがうようにも分けることはできます。

> 形而上があったら仏教ではない、という前提を設定されるので、仏教に関するものはどれも形而上ではないと強引に結論付けられているような気がします。

むりやり分けているように感じられるなら、ちがう展開も考えてみましょう。

> もし、神や仏を見たり、神や仏の名前を口で唱えたりすることで、形而上ではない、肉体の感覚や経験の範囲なのだということであれば、仏教に限らず、キリスト教でもイスラム教でもヒンドゥ-教でも神の名前を唱えたり、実際に神の姿を見たという人もいます。
> どこが違うのでしょうか。

では、こう言いましょうか。すべてのことばを無我とするか、無我としないか、です。
これは、同じことです。
どんな時でも、「ことばは無我である」とできるとき、その人には苦しみはありません。
もし、そうではないなら、苦しみが起こります。
>
> 仏陀はその教えの中で、神や仏という、肉体で認識されないものを信仰することは教えませんでした。
> しかし、最後、自らの死の直前、自分の遺骨を塔にまつって礼拝するように言いました。
> これにより、後に大乗仏教が起き、久遠実成の釈迦如来を信仰するという流れになったように思えます。

なるほど、そう理解しているのですね。
『サンユッタ・ニカ-ヤ』32.9「雨雲」という経典があります。
=============
一方に坐ったかの比丘は、尊師にこう言いました。
「尊師よ、一体どのような原因や理由で、一時期、神は雨を降らせるのですか」
「比丘よ、雨雲という神々がいます。かれらが、『私たちは、自分たちで楽しんで暮らそう』とこのように思うとき、かれらの、この心の願いにしたがって、神は雨を降らせるのです。比丘よ、これが、神がある時期雨を降らせる原因や理由なのです。」
=================
インドが雨期と乾期に分かれる気候だからだと思いますが、このように説明しています。
この経典を読んで、ショ-シャンクさまが、「ブッダは肉体で認識されないものを信仰することは教えていない」と理解するなら、そうだと思います。
自分の理解とはちがうことが説かれている経典だ、と思うなら、この経典の方を取るべきだと思います。

> 仏陀も生前、梵天などの神々の存在には言及していますが、その神々を信仰したりすることは説きませんでした。
> ですから、やはり、仏陀の遺言は大乗仏教の興隆に大きな影響を与えたと思っています。

仏教では、梵天は色界にいる神であり、帝釈天は須弥山の頂上に住んでいる神です。
梵天を信仰することを教えない」とは何でしょうか。人々にとっては、それらの神々がいることはふつうのことでした。

「実際、薪から生ずるのが火(ジャ-タヴェ-ダス)なのです」とブッダは、あたりまえのことをあたりまえに言ったようですが、実は、このジャ-タヴェ-ダスは、火神でもあります。薪は、変哲のないもの、無用のものも意味します。
ここから、「生まれを問わずに行いを問いなさい」という有名な教えに入っていきます。
賎しい生まれであっても、高貴な者となることを教えているブッダは、神々を否定していません。人々の信仰を妨げるのではなく、それらを承認しながら、法を説いていきます。


>
> 道元が抱いていた命題とこの風の公案は全く関係がないと思われるのですか。
> 私は、本証妙修という、道元の達した真髄そのものだと思っていますが。

「現成公案」全体を語ることになるので、これはパスしましょう。「本証妙修」に、「達した」というのが、どうもピンと来ません。わたしには、あたりまえのことのような気がします。「現成公案」という段は、仏道の心構えを述べているとわたしは思っています。

======「現成公案
得処かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。証究すみやかに現成すといへども、密有かならずしも見成にあらず。見成これ何必なり。
============
この後に、風性常住の話が出てきます。
「密有必ずしも見成にあらず」とあるので、まだまだ探究しなければならないことがいっぱいありますよ、とわたしは!読んでいます。しかし、「見成これ何必なり」と言う方をとるならば、それが、到達点、本証妙修でもあるのかもしれませんが。
いずれにせよ「現成しているもの」を見つめることにはなりますね。

※「見成これ何必なり」というのは、「見てとってそうなること」という本証を得ることは、必ずしも必要なのではない、とすれば、そのまま「本証妙修」ということなのかもしれないです。そうなら、風性常住の話はいらないんじゃないかしら、という気もしてきます。


> 形而上学ググると『感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根因)や、物や人間の存在の理由や意味など、感覚を超絶したものについて考える。対立する用語は唯物論である。』とあります。
> 先生が考えられている形而上学とはこの定義とは違うということでしょうか。

ググったものは、ググったものです。生きてるものについて話をしているときに、死体でも同じことでしょう、と言われても、戸惑うだけです。

断滅論を説く人々が、何をどう考えていたのか、もう少し考えてもらえないでしょうか。
マンゴ-について尋ねたのに、ラブジャの木の話をするようなものだ、というアジャ-タシャットゥ王の嘆きに近いものがあります。
>
> エデンの園にしても、西方極楽浄土にしても、この肉体の感覚で把握されないものであるのに、なぜ一方は形而上で一方は形而下だと言われるのでしょう。
> エデンの園もアダムとイブがいなくなったりして、少しは変化していて無常なところもありますね。

エデンの園は、神の意向によって存在しているとみるべきではないでしょうか。無常なところを認めてしまうなら、神は「壊れる」ことになりましょう。無常に見えたとしても、それは神の意志とみるべきではないかと思いますが。無常さをもたらすのも神だとしないと、「復活」させられないのではないでしょうか。

> 何か、一方だけを形而上だ、仏教ではない、一方を形而下だ、仏教だ、という決めつけが最初にあるような気がします。

ダルマで言いますと、「なんであれ、生ずるダルマ(性質)のものは、滅するダルマのものである」というこれが、まず、法の眼となります。

一方、唯一の神を説く場合、「一粒の麦が死ななければ、それは一つのままである。もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」(「ヨハネ」12。24)

「生じたなら必ず滅する」と説く教えと、「死ななければ、実を結べない」と説く教えはちがうと言うべきではないでしょうか。
生じたものが滅する世界は、あるがままに世界を見つめることで得られますが、
死んだものが復活する世界は、そうさせる意志(≡神)を必要とします。

根源的にちがうところを探すとすれば、これではないかと思っています。この違いを、形而下と形而上と言い表したと思っていただければよいかもしれません。

【2021/10/23(Sat) 09:19:10 投稿者により修正されました。】


 

  [No.23041] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/23(Sat) 09:48:35

石飛先生、おはようございます。


> まあ、わたしが「分けた」というより、ショ-シャンクさまには、その方がわかりやすいかと思って分けているだけです。話の流れで、そういうことになってきていますが、ちがうようにも分けることはできます。

そうですか?先生は、最初に『仏教と非仏教を比べると明らかにちがうところがあるのです。その一点が、「形而上学をもたない」という点なのです。』と言われています。

> > もし、神や仏を見たり、神や仏の名前を口で唱えたりすることで、形而上ではない、肉体の感覚や経験の範囲なのだということであれば、仏教に限らず、キリスト教でもイスラム教でもヒンドゥ-教でも神の名前を唱えたり、実際に神の姿を見たという人もいます。
> > どこが違うのでしょうか。
>
> では、こう言いましょうか。すべてのことばを無我とするか、無我としないか、です。
> これは、同じことです。
> どんな時でも、「ことばは無我である」とできるとき、その人には苦しみはありません。
> もし、そうではないなら、苦しみが起こります。


阿弥陀仏を拝む人たちと、キリスト教イスラム教やヒンドゥ-教の神に祈る人たちの中で、
全く我が無く神に没入する人もいますし我がなくならない人もいるでしょう。
それは、阿弥陀仏でも他の神を拝むのでも同じだと思いますが。


> 『サンユッタ・ニカ-ヤ』32.9「雨雲」という経典があります。
> =============
> 一方に坐ったかの比丘は、尊師にこう言いました。
> 「尊師よ、一体どのような原因や理由で、一時期、神は雨を降らせるのですか」
> 「比丘よ、雨雲という神々がいます。かれらが、『私たちは、自分たちで楽しんで暮らそう』とこのように思うとき、かれらの、この心の願いにしたがって、神は雨を降らせるのです。比丘よ、これが、神がある時期雨を降らせる原因や理由なのです。」
> =================
> インドが雨期と乾期に分かれる気候だからだと思いますが、このように説明しています。
> この経典を読んで、ショ-シャンクさまが、「ブッダは肉体で認識されないものを信仰することは教えていない」と理解するなら、そうだと思います。
> 自分の理解とはちがうことが説かれている経典だ、と思うなら、この経典の方を取るべきだと思います。


歴史上の仏陀は、神霊の存在を否定しなかったし認めていました。今の仏教ではそれらはただの比喩とされて唯物論的に解釈する人が多いですが。
ただ、雨雲の神々のことを見ても、その神々を信じ仰げとは言ってないですね。お願いしろとも言ってません。
その神々は自分の願いに従って雨を降らすと言っています。


> 仏教では、梵天は色界にいる神であり、帝釈天は須弥山の頂上に住んでいる神です。
> 「梵天を信仰することを教えない」とは何でしょうか。人々にとっては、それらの神々がいることはふつうのことでした。
>
> 「実際、薪から生ずるのが火(ジャ-タヴェ-ダス)なのです」とブッダは、あたりまえのことをあたりまえに言ったようですが、実は、このジャ-タヴェ-ダスは、火神でもあります。薪は、変哲のないもの、無用のものも意味します。
> ここから、「生まれを問わずに行いを問いなさい」という有名な教えに入っていきます。
> 賎しい生まれであっても、高貴な者となることを教えているブッダは、神々を否定していません。人々の信仰を妨げるのではなく、それらを承認しながら、法を説いていきます。

ですから、仏陀は神々は否定していません。
しかし、神々に祈りを捧げたり、神々の名前を唱えたりすることは説きませんでした。
神々に供物をささげることも説きませんでした。

> > 道元が抱いていた命題とこの風の公案は全く関係がないと思われるのですか。
> > 私は、本証妙修という、道元の達した真髄そのものだと思っていますが。
>
> 「現成公案」全体を語ることになるので、これはパスしましょう。「本証妙修」に、「達した」というのが、どうもピンと来ません。わたしには、あたりまえのことのような気がします。「現成公案」という段は、仏道の心構えを述べているとわたしは思っています。


道元はその命題に対して、全身全霊で探求していったと思います。栄西にも聞きに行きます。でも解決しません。必死の探求のあと、『本証妙修』と悟ったので、『達した』と言いました。
道元が長い間悪戦苦闘して解決した結論を『あたりまえ』とは私は思いません。
それまでにない考えだからです。




> 断滅論を説く人々が、何をどう考えていたのか、もう少し考えてもらえないでしょうか。
> マンゴ-について尋ねたのに、ラブジャの木の話をするようなものだ、というアジャ-タシャットゥ王の嘆きに近いものがあります。

私が言っているのは、肉体の感覚だけで、唯物的な見方だけで、様々な生き物の『死』を見ると、そこに何も残らないように見えてしまうので、肉体の感覚だけで見てしまうと断滅つまり断見になることが多いということです。
自分の死はまだ経験してないですから、『死』と言えば、親族の死やペットの死などしか経験しません。
そこに、感覚を超えた思惟をしなければ、唯物論になってしまうということです。
感覚を超えた思惟というのが形而上学です。
ですから、形而上学唯物論は、反対概念で、先生が言われるように唯物論形而上学と言うことはないということです。


> > エデンの園にしても、西方極楽浄土にしても、この肉体の感覚で把握されないものであるのに、なぜ一方は形而上で一方は形而下だと言われるのでしょう。
> > エデンの園もアダムとイブがいなくなったりして、少しは変化していて無常なところもありますね。
>
> エデンの園は、神の意向によって存在しているとみるべきではないでしょうか。無常なところを認めてしまうなら、神は「壊れる」ことになりましょう。無常に見えたとしても、それは神の意志とみるべきではないかと思いますが。無常さをもたらすのも神だとしないと、「復活」させられないのではないでしょうか。
>
> > 何か、一方だけを形而上だ、仏教ではない、一方を形而下だ、仏教だ、という決めつけが最初にあるような気がします。
>
> ダルマで言いますと、「なんであれ、生ずるダルマ(性質)のものは、滅するダルマのものである」というこれが、まず、法の眼となります。
>
> 一方、唯一の神を説く場合、「一粒の麦が死ななければ、それは一つのままである。もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」(「ヨハネ」12。24)
>
> 「生じたなら必ず滅する」と説く教えと、「死ななければ、実を結べない」と説く教えはちがうと言うべきではないでしょうか。
> 生じたものが滅する世界は、あるがままに世界を見つめることで得られますが、
> 死んだものが復活する世界は、そうさせる意志(≡神)を必要とします。
>
> 根源的にちがうところを探すとすれば、これではないかと思っています。この違いを、形而下と形而上と言い表したと思っていただければよいかもしれません。


それであれば、西方極楽浄土は、無常であり、滅するものなのでしょうか。


 

  [No.23051] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:管理人エム  投稿日:2021/10/23(Sat) 22:51:50

ショ-シャンクさま こんばんは。

> > まあ、わたしが「分けた」というより、ショ-シャンクさまには、その方がわかりやすいかと思って分けているだけです。話の流れで、そういうことになってきていますが、ちがうようにも分けることはできます。
>
> そうですか?先生は、最初に『仏教と非仏教を比べると明らかにちがうところがあるのです。その一点が、「形而上学をもたない」という点なのです。』と言われています。

そういいましたね。これも、ほんとうです。ただ、違うようにも分けることができる、というのもほんとうです。
形而上と形而下について、ショ-シャンクさまのこだわりが何かあるのかもしれないと思ってみたりしています。とにかくスム-ズにいかないな、と思っています。

ただ、これも仕方ないのかもしれません。どこかショ-シャンクさまの解釈の中に、わたし自身がひっかかるところがあることは確かです。

ショ-シャンクさまは仏教を理解するのに、あらかじめある「常識」を超えて理解したいとは思っていないようだ、と思います。
>

> > では、こう言いましょうか。すべてのことばを無我とするか、無我としないか、です。
> > これは、同じことです。
> > どんな時でも、「ことばは無我である」とできるとき、その人には苦しみはありません。
> > もし、そうではないなら、苦しみが起こります。
>
>
> 阿弥陀仏を拝む人たちと、キリスト教イスラム教やヒンドゥ-教の神に祈る人たちの中で、
> 全く我が無く神に没入する人もいますし我がなくならない人もいるでしょう。
> それは、阿弥陀仏でも他の神を拝むのでも同じだと思いますが。

阿弥陀仏でも、キリスト教など諸宗教でも、我がなくならない人もいる、というのは、おっしゃる通りでしょう。
「全く我が無く神に没入する人もいます」というところ、ここは気をつけたいです。
我が無いかどうか、ちょっと微妙だと思います。一神教やヒンドゥ-教の場合、神との合一を神秘体験しても、我は無くなりはしません。仏教の場合、神秘体験にはいかないのです。無我だからです。
他の神を拝むのと、阿弥陀仏を拝むのとでは、ちがうと思います。
>

> > この経典を読んで、ショ-シャンクさまが、「ブッダは肉体で認識されないものを信仰することは教えていない」と理解するなら、そうだと思います。
> > 自分の理解とはちがうことが説かれている経典だ、と思うなら、この経典の方を取るべきだと思います。
>

> ただ、雨雲の神々のことを見ても、その神々を信じ仰げとは言ってないですね。お願いしろとも言ってません。
> その神々は自分の願いに従って雨を降らすと言っています。

こうおっしゃっているのは、 この経典を読んで、ショ-シャンクさまが、「ブッダは肉体で認識されないものを信仰することは教えていない」と理解する、ということなのでしょうか。それでよいのであれば、わたしは、特に反対しませんが。

神々も、ブッダのもとに教えを聞きに来ますからね。

> ですから、仏陀は神々は否定していません。
> しかし、神々に祈りを捧げたり、神々の名前を唱えたりすることは説きませんでした。
> 神々に供物をささげることも説きませんでした。

それで、何が問題でしたっけ?
>
> > > 道元が抱いていた命題とこの風の公案は全く関係がないと思われるのですか。
> > > 私は、本証妙修という、道元の達した真髄そのものだと思っていますが。
> >
> > 「現成公案」全体を語ることになるので、これはパスしましょう。「本証妙修」に、「達した」というのが、どうもピンと来ません。わたしには、あたりまえのことのような気がします。「現成公案」という段は、仏道の心構えを述べているとわたしは思っています。
>
>
> 道元はその命題に対して、全身全霊で探求していったと思います。栄西にも聞きに行きます。でも解決しません。必死の探求のあと、『本証妙修』と悟ったので、『達した』と言いました。
> 道元が長い間悪戦苦闘して解決した結論を『あたりまえ』とは私は思いません。
> それまでにない考えだからです。

それまでにない? 本証妙修、って何でしたっけ。わたしは、ショ-シャンクさまとちがうことを考えているのかな?

===
それ修証は一つにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに初心の弁道すなはち本証の全体なり。かるがゆゑに、修行の用心さづくるにも、修のほかに証をまつおもいなかれとをしふ。直指の本証なるがゆゑなるべし。既に修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし。
===「辨道話」

これを得るのに悪戦苦闘したとは、なぜ、そう思うのですか?
わたしは、「あたりまえ」みたいな気がします。なぜかといえば、「空」の思想から、これはすぐ出てくるし、ブッダの法やブッダの教え、又、ブッダの生き方を見ていたら、常に現役で働いていた人なんですから、本証妙修であるのは、当然ではないかと思います。

ブッダは、こう言っています。「宝経」の中にあります。
226.
最高の人ブッダの賞賛しているきよらかな三昧を、「間をおかぬもの(=即座に聖果のあるもの)」と人々は言う。この三昧と等しいものはない。――このことこそが、法の中の殊勝の宝である。この真実によって、吉祥であれ。

これは、わたしですら、すぐにわかります。ブッダの法は、身を入れて聞くなら、聞いただけ即座に効果があるということを。
ましてや、熱心なお弟子さんなら、どれほど深く実感するか、想像できます。

> 私が言っているのは、肉体の感覚だけで、唯物的な見方だけで、様々な生き物の『死』を見ると、そこに何も残らないように見えてしまうので、肉体の感覚だけで見てしまうと断滅つまり断見になることが多いということです。
> 自分の死はまだ経験してないですから、『死』と言えば、親族の死やペットの死などしか経験しません。
> そこに、感覚を超えた思惟をしなければ、唯物論になってしまうということです。
> 感覚を超えた思惟というのが形而上学です。

「感覚を超えない思惟」というのを認めて、六根とするのだと考えるとどうでしょうか。
五感しかないと思うのが、現代人ではないでしょうか。六つの感覚器官を認めている、ということを抑えないと、こうして、現代人は、形而上学に行くか、唯物論にいくかしかなくなってしまうのでしょう。

そうではない!のです。感覚器官は六つです。意(マナス)といわれる心の働きがあるのです。


> ですから、形而上学唯物論は、反対概念で、先生が言われるように唯物論形而上学と言うことはないということです。

わたしは、唯物論形而上学だと述べているのではありません。唯物論には、仏教的にはまだ考慮されていない部分があるだろう、ということなのです。心の側面を全く考慮していないのだから、足りない面があるだろうと述べているのです。
>
>
> それであれば、西方極楽浄土は、無常であり、滅するものなのでしょうか。


極楽世界は、法蔵菩薩が、世自在王仏から聞いた諸仏の国土のすばらしい特徴を皆入れて建設したと考えられますね。48願を立て修行してつくりあげた世界でしょう。そうであれば、衆生を救い終わったならば、極楽世界は必要がなくなって滅するかもしれません。
それまでは、阿弥陀仏がそこに居て、衆生を救い続けていることだろうと思いますが、基本的に無常であって、滅する性質からなると思います。


 

  [No.23052] Re: 仏陀は何故、自分の遺骨の塔を作るように言ったのか 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2021/10/24(Sun) 00:47:53

石飛先生、こんばんは。

> > > まあ、わたしが「分けた」というより、ショ-シャンクさまには、その方がわかりやすいかと思って分けているだけです。話の流れで、そういうことになってきていますが、ちがうようにも分けることはできます。
> >
> > そうですか?先生は、最初に『仏教と非仏教を比べると明らかにちがうところがあるのです。その一点が、「形而上学をもたない」という点なのです。』と言われています。
>
> そういいましたね。これも、ほんとうです。ただ、違うようにも分けることができる、というのもほんとうです。
> 形而上と形而下について、ショ-シャンクさまのこだわりが何かあるのかもしれないと思ってみたりしています。とにかくスム-ズにいかないな、と思っています。

私には、形而上と形而下のこだわりは全くありません。ただ、歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったか、ということに関心があるだけです。それがすべての興味です。
先生が、形而上があると仏教ではないと言われたので、大乗仏教に形而上が全くないというのはおかしいと思っているだけです。


>
> ただ、これも仕方ないのかもしれません。どこかショ-シャンクさまの解釈の中に、わたし自身がひっかかるところがあることは確かです。
ショ-シャンクさまは仏教を理解するのに、あらかじめある「常識」を超えて理解したいとは思っていないようだ、と思います。

そうですか?私はあらゆる『仏教の常識』を白紙にしています。今までの仏教なるものの全否定から入って、歴史上の仏陀は本当は何を言いたかったのかを知りたいと思っているからです。
今の日本の仏教の常識の真逆であることも認識しています。
今の日本の仏教の常識とは、仏陀より遥かに後世の宗祖たちを絶対正しいとして、その宗祖が言ったことから仏陀の言葉を解釈しているということです。
私は、仏陀を原点としたいと思っています。
あらかじめ『解答』をもって仏陀をながめることをしたくないのです。




> > > では、こう言いましょうか。すべてのことばを無我とするか、無我としないか、です。
> > > これは、同じことです。
> > > どんな時でも、「ことばは無我である」とできるとき、その人には苦しみはありません。
> > > もし、そうではないなら、苦しみが起こります。
> >
> >
> > 阿弥陀仏を拝む人たちと、キリスト教イスラム教やヒンドゥ-教の神に祈る人たちの中で、
> > 全く我が無く神に没入する人もいますし我がなくならない人もいるでしょう。
> > それは、阿弥陀仏でも他の神を拝むのでも同じだと思いますが。
>
> 阿弥陀仏でも、キリスト教など諸宗教でも、我がなくならない人もいる、というのは、おっしゃる通りでしょう。
> 「全く我が無く神に没入する人もいます」というところ、ここは気をつけたいです。
> 我が無いかどうか、ちょっと微妙だと思います。一神教やヒンドゥ-教の場合、神との合一を神秘体験しても、我は無くなりはしません。仏教の場合、神秘体験にはいかないのです。無我だからです。
> 他の神を拝むのと、阿弥陀仏を拝むのとでは、ちがうと思います。


先生がおっしゃりたいことはわかります。
仏教以外では、縁起や空や無我を説いていないではないか、だから自我を持ったまま神に没入するしかないだろう、ということですね。
しかし、阿弥陀仏を信仰する人、例えばここでいえばミチオくんがいます。
ミチオくんがさかんに言っているのは、空や縁起を勉強することなど要らない、阿弥陀仏がどんな人も救ってくださるということをただ信じるだけだ、と。あれこれ勉強することはかえって妨げになる、と。
そして、それはキリスト教も同じなのだ、と。
ほとんどの阿弥陀仏信仰において、阿弥陀仏の本願を信じることだけがすべてとなっています。
そしてそれであれば、キリスト教の神への全面的な信仰や、ヒンドゥ-教のバクティと原理的には変わりありません。



> > 道元はその命題に対して、全身全霊で探求していったと思います。栄西にも聞きに行きます。でも解決しません。必死の探求のあと、『本証妙修』と悟ったので、『達した』と言いました。
> > 道元が長い間悪戦苦闘して解決した結論を『あたりまえ』とは私は思いません。
> > それまでにない考えだからです。
>
> それまでにない? 本証妙修、って何でしたっけ。わたしは、ショ-シャンクさまとちがうことを考えているのかな?

仏陀に本証の考えはありましたか?
人間は本来覚っているという考え自体無かったですね。
煩悩を滅して解脱する、というのが仏陀です。
仏教ができあがって、修行を因として悟りを果とする、となりました。
それが時間的に長かろうが短かろうが、因⇒果です。修⇒証です。
それまでの仏教に、本証妙修の考えはありましたか?


> これを得るのに悪戦苦闘したとは、なぜ、そう思うのですか?
> わたしは、「あたりまえ」みたいな気がします。なぜかといえば、「空」の思想から、これはすぐ出てくるし、ブッダの法やブッダの教え、又、ブッダの生き方を見ていたら、常に現役で働いていた人なんですから、本証妙修であるのは、当然ではないかと思います。

日本でさんざん探求して、その時の日本の禅の第一人者である栄西に聞いてもわかりませんでした。
そして、宋にわたって、よい師匠を得てやっとわかりました。
少なくとも、道元にとっては『あたりまえ』ではなかったのです。


> ブッダは、こう言っています。「宝経」の中にあります。
> 226.
> 最高の人ブッダの賞賛しているきよらかな三昧を、「間をおかぬもの(=即座に聖果のあるもの)」と人々は言う。この三昧と等しいものはない。――このことこそが、法の中の殊勝の宝である。この真実によって、吉祥であれ。
>
> これは、わたしですら、すぐにわかります。ブッダの法は、身を入れて聞くなら、聞いただけ即座に効果があるということを。
> ましてや、熱心なお弟子さんなら、どれほど深く実感するか、想像できます。

時間の短長ではありません。
最初から覚っているというのが本証であり、その考えは仏陀の時代にはなかったことです。

>
> > 私が言っているのは、肉体の感覚だけで、唯物的な見方だけで、様々な生き物の『死』を見ると、そこに何も残らないように見えてしまうので、肉体の感覚だけで見てしまうと断滅つまり断見になることが多いということです。
> > 自分の死はまだ経験してないですから、『死』と言えば、親族の死やペットの死などしか経験しません。
> > そこに、感覚を超えた思惟をしなければ、唯物論になってしまうということです。
> > 感覚を超えた思惟というのが形而上学です。
>
> 「感覚を超えない思惟」というのを認めて、六根とするのだと考えるとどうでしょうか。
> 五感しかないと思うのが、現代人ではないでしょうか。六つの感覚器官を認めている、ということを抑えないと、こうして、現代人は、形而上学に行くか、唯物論にいくかしかなくなってしまうのでしょう。
>
> そうではない!のです。感覚器官は六つです。意(マナス)といわれる心の働きがあるのです。
>
>
> > ですから、形而上学唯物論は、反対概念で、先生が言われるように唯物論形而上学と言うことはないということです。
>
> わたしは、唯物論形而上学だと述べているのではありません。唯物論には、仏教的にはまだ考慮されていない部分があるだろう、ということなのです。心の側面を全く考慮していないのだから、足りない面があるだろうと述べているのです。


そうですか。『唯物論も、ある種の形而上学とも言えます』と書かれていたので、唯物論形而上学に入れておられるのだと思っていました。


> > それであれば、西方極楽浄土は、無常であり、滅するものなのでしょうか。
>
>
> 極楽世界は、法蔵菩薩が、世自在王仏から聞いた諸仏の国土のすばらしい特徴を皆入れて建設したと考えられますね。48願を立て修行してつくりあげた世界でしょう。そうであれば、衆生を救い終わったならば、極楽世界は必要がなくなって滅するかもしれません。
> それまでは、阿弥陀仏がそこに居て、衆生を救い続けていることだろうと思いますが、基本的に無常であって、滅する性質からなると思います。


そうですか。極楽世界は法蔵菩薩が建設したのですか?
私は、西方極楽浄土は、阿弥陀仏仏国土だと思っていました。
つまり、仏=如来がいると、そこに自然に展開しているのがその如来仏国土だと思っていました。
仏国土である以上、菩薩が建設するようなものではないと認識していましたが。
もし、阿弥陀如来仏国土であれば、阿弥陀如来がおられる限り、その仏国土もなくならないと思っていますが。

また、今生きている衆生が全部救われたとしても、衆生はどんどん生まれてきます。
衆生を救い終わるということはないのではないでしょうか。


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